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驚異の世界・ノンフィクションアワー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
驚異の世界
ノンフィクションアワー
ジャンル ドキュメンタリー番組
ナレーター 佐野浅夫[1]
中山千夏[2]
国・地域 世界各国
言語 日本の旗日本語
製作
プロデューサー 吉川雅也[1]
池松俊雄[1]
製作 日本テレビ
放送
放送チャンネル日本テレビ系列
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1972年7月6日 - 1982年9月23日
放送時間木曜 19:00 - 19:30
放送分30分
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驚異の世界・ノンフィクションアワー』(きょういのせかい・ノンフィクションアワー)は、日本テレビ系列局他で放送されていた、日本テレビ製作、KLMオランダ航空協賛のドキュメンタリー番組である。1972年7月6日から1982年9月23日まで、毎週木曜 19:00 - 19:30 (日本標準時)に放送していた。

概要

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世界各地の自然風景や動物の生態系、日本では余り知られていない、各国独自の文化・風習を、佐野浅夫中山千夏のナレーションで紹介していた。

中でも、アフリカゾウを特集したシリーズは、撮影に3年もの歳月を掛けており、日テレの当時の取材チームが、世界で初めて、野生の象に特殊機材を取付けての取材を行った。更には「ミスケニヤ」と呼ばれた、メスの象が出産するシーンの撮影も試みた。これは、1980年に『象物語』として映画化もされた。

他に、フランスの海洋学者ジャック=イヴ・クストーが自ら制作・出演した、海洋ドキュメンタリー作品を「クストーの海底世界」と題して放送した。

当番組は、1973年に科学放送賞を、1975年には放送文化基金奨励賞を、それぞれ受賞した。神奈川県横浜市にある放送ライブラリーには、此の番組のビデオが4本保存されている[3]

改編期の『木曜スペシャル』拡大時と年末年始には、放送休止と成っていた。また、1980年以降はプロ野球ナイター中継巨人戦)が19:00開始に成った為、プロ野球シーズン中にも、頻繁に休止していた。

番組提供は当初、講談社の一社提供で在ったが、1973年4月以降、同社を筆頭社とする複数社提供と成っていた。末期に同社はスポンサーを降りた。複数社提供時代には、同社のグループ企業だったブックローン、更には昭和産業等もスポンサーに名を連ねていた。なお講談社がスポンサーだった時期では、番組内のみ福留功男(当時:日本テレビアナウンサー)による「少年少女講談社文庫」(別名「ふくろう文庫)」の生CMが放送された。

シリーズの終焉

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1982年9月23日の放送をもって番組終了。終了の理由として「ゴールデンタイム枠各番組の視聴率強化と併せて、(1982年)4月から新たにドキュメンタリー番組が1本増えたので、制作スタッフが不足したという問題もあった」(当時の日本テレビ編成局部長・漆戸靖治 談)ことを挙げている[4]

これにより、1962年1月に放送開始した『ノンフィクション劇場』から中断期間ありつつ続いた「ノンフィクション」シリーズは20年9か月の歴史に幕を降ろした。

提供スポンサー

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放送局

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脚注

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  1. ^ a b c 検索結果 驚異の世界 これがアフリカ象だ! 傷つき象救急作戦 - 放送ライブラリ公式ページ”. 2015年6月25日閲覧。
  2. ^ 検索結果 驚異の世界 バングラデシュ飢餓地帯を行く - 放送ライブラリ公式ページ”. 2015年6月25日閲覧。
  3. ^ 検索結果 - 放送ライブラリ公式ページ”. 2015年6月25日閲覧。
  4. ^ 週刊TVガイド 1982年7月30日号 p.22「レポート『九月いっぱいで消える二つの長寿教養番組』」
  5. ^ a b 『デーリー東北』1977年4月4日 - 4月7日付朝刊、テレビ欄。
  6. ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、29頁。 
  7. ^ 『北國新聞』1976年4月9日付朝刊、テレビ欄。
  8. ^ 『北日本新聞』1974年4月19日付朝刊、テレビ欄。
  9. ^ 1977年4月1日、9月30日 信濃毎日新聞 テレビ欄

外部リンク

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関連番組

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日本テレビ系列 木曜19:00枠
前番組 番組名 次番組
ヨーイ・ドン!!(第2期)
(1972年6月1日 - 1972年6月29日)
驚異の世界・ノンフィクションアワー
(1972年7月6日 - 1982年9月23日)
ときめきトゥナイト
(1982年10月7日 - 1983年9月22日)
【ここからアニメ枠