驪連氏
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驪連氏(りれんし)は、古国時代の人物[1]。『帝王世紀・自皇古至五帝』によると、15代目まで庖犧氏の号を用いたとされる[2][3]。
姓
[編集]姓については、風姓とされる。これは、当時有力であった風姓・姜姓の2大氏族の交代以前と考えられるためである。
一次資料での記述
[編集]- 『帝王世紀』
「女媧氏没,次有大連氏、柏皇氏、中央氏、栗陸氏、驪連氏、赫胥氏、尊盧氏、渾沌氏、昊英氏、有巣氏、朱襄氏、葛天氏、陰康氏、無懐氏,凡十五世,皆襲庖犧氏之号也」
- 『北史』隋紀上・高祖文帝
「大庭、軒轅以前,驪連、赫胥之日,咸以無為無欲,不将不迎,其詳不可聞已」
- 唐 楊炯『遂州長江県先聖孔子廟堂碑』
「驪連上古,混沌中央」[3]
出典・注釈
[編集]- 出典
- 注釈