高仇
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高 仇 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 고구 |
漢字: | 高 仇 |
発音: | {{{nihonngo-yomi}}} |
日本語読み: | こう きゅう |
高 仇(こう きゅう、? - 438年)は、高句麗の長寿王側近の将軍[1]。高句麗の国姓である「高氏」であるため高句麗王族とみられる[2]。
人物
[編集]北魏の攻撃により、北燕が滅んだことから、436年に北燕の第3代天王・馮弘は高句麗に亡命した[3]。馮弘は、北豊城に居住したが、高句麗が冷遇していると不満をもち、宋と接触した。438年、宋は王白駒を派遣して馮弘を宋に連れ帰ろうとしたが、事態を察知した長寿王は、高句麗の将軍・孫漱と高仇に命じて馮弘と一族約10人を殺害した。その際、宋の将軍・王白駒の襲撃を受けて高仇は死亡した[1]。
脚注
[編集]- ^ a b “손수(孫漱)”. 韓国民族文化大百科事典. オリジナルの2022年9月26日時点におけるアーカイブ。
- ^ “고구(高仇)”. 韓国民族文化大百科事典. オリジナルの2022年9月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ 李成市『古代東アジアの民族と国家』岩波書店、1998年3月25日、24頁。ISBN 978-4000029032。