高原院
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高原院(こうげんいん、慶長8年(1603年) - 寛永14年4月23日(1637年6月15日))は、尾張藩初代藩主徳川義直の正室。名は春姫(はるひめ)。父は紀州藩初代藩主浅野幸長、母は正室の池田恒興の娘。
経歴
[編集]慶長8年(1603年)、和歌山城で誕生する。慶長14年(1609年)に徳川義直と縁談をし、元和元年(1615年)に結婚する。寛永10年(1633年)に義直の2子と江戸に移るまで、名古屋城の本丸御殿に居住した[1]。2人の間に子供が生まれないまま、寛永14年(1637年)に35歳で死去し、萬松寺に葬られた。戒名は高原院大岳宗椿大禅尼。
春姫には子供がなかったが、謹厳実直な義直は側室を置こうとはしなかった。しかし尾張徳川家の存続という責務も果たさねばならず、土井利勝は公命により側室を置くことをすすめた(『金府紀較』)。後に義直の跡は側室の子である徳川光友が継いでいる。
御霊屋
[編集]名古屋東照宮の現在の本殿と唐門は、もとは高原院の御霊屋として慶安4年(1651年)に萬松寺に建てられたものである。その後、1914年(大正3年)に建中寺へ移築され、1953年(昭和28年)10月に空襲で元来の社殿を焼失した名古屋東照宮に充てられ、移築された。
その他
[編集]春姫の嫁入りは名古屋地域の豪華な結婚式のルーツとされており、毎年4月に市民団体「本丸ネットワーク(前・名古屋城文化フォーラム、旧・本丸御殿フォーラム)」が名古屋城の本丸御殿再建を目指すため「春姫道中」として嫁入りを再現したイベントが名古屋城等で行われている[2]。