宮崎県立高原高等学校
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宮崎県立高原高等学校 | |
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北緯31度56分07秒 東経130度59分35秒 / 北緯31.935194度 東経130.993056度座標: 北緯31度56分07秒 東経130度59分35秒 / 北緯31.935194度 東経130.993056度 | |
過去の名称 |
宮崎県立都城農学校女子部 宮崎県立都城農学校高原分校 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校高原校舎 宮崎県立小林高等学校高原分校 宮崎県立小林高等学校高原校舎 宮崎県立高原高等学校(仮) 宮崎県立高原畜産高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 宮崎県 |
校訓 | 質実剛健 |
設立年月日 | 1952年 |
閉校年月日 | 2013年(平成25年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
生産流通科 食品化学科 福祉科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 45140B |
所在地 | 〒889-4411 |
宮崎県西諸県郡高原町大字広原4981番地の2 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
宮崎県立高原高等学校(みやざきけんりつ たかはるこうとうがっこう)は、宮崎県西諸県郡高原町に所在した公立の高等学校。
西諸県地区の学校再編により、宮崎県立小林秀峰高等学校に統合され、2013年(平成25年)3月末に閉校した。
概要
[編集]- 歴史
- 1945年(昭和20年)高原青年学校に設置された「宮崎県立都城農学校女子部」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により、新制高等学校「宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校高原校舎」となる。1949年(昭和24年)一旦廃止されたものの間もなく「宮崎県立小林高等学校高原分校(後に高原校舎)」が設置される。1952年(昭和27年)に「宮崎県立高原畜産高等学校」として独立。1993年(平成5年)に畜産科を廃止したことにより「宮崎県立高原高等学校」に改称。2013年(平成25年)3月末に閉校。68年の歴史に幕を下ろした。
- 校訓
- 「質実剛健」
- 校章
- 三つ葉のクローバーと学問を象徴するペン先3本を組み合わせたものを背景にして、中央に「高」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞は谷口藤吉、作曲は堀内敬三による。歌詞は5番まであり、各番に校名の「高原」が登場する。
- 生徒歌
- 作詞・作曲ともに谷口藤吉による。歌詞は5番まである。
- 姉妹校
- 發安農生命産業高等学校(大韓民国)
沿革
[編集]- 1945年(昭和20年)4月1日 - 「宮崎県立都城農学校女子部」(3年課程(本科2年・研究科1年))が高原青年学校内に設置される。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 「宮崎県立都城農学校高原分校」が設置される。畜産課程(5年制、現在の中1から高2に相当)を併設。
- 女子部は高原青年学校校舎を継続して使用。畜産課程は宮崎県種畜場を校舎として使用。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 農学校の募集が停止される。
- 新制中学校が併設され(以下・併設中学校)、農学校1・2年修了者を併設中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、新制高等学校「宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校高原校舎」となる。
- 女子部は農業課程となる。畜産課程は併設中学校の課程となる。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 「宮崎県立小林高等学校高原校舎」に改称。全日制農業課程畜産コースと家庭課程被服コースを設置。
- 1952年(昭和27年)
- 4月1日 - 小林高等学校から分離し「宮崎県立高原高等学校」(仮称)として独立。全日制家庭課程被服コースを小林高等学校本校に移管。
- 6月1日 - 「宮崎県立高原畜産高等学校」に改称。通常制農業課程(畜産科・農村家庭科)、定時制農業課程を設置。
- 1953年(昭和28年)2月7日 - 開校式を挙行。
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 通常制農業課程に有畜農業科を設置。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 定時制課程の募集を停止。
- 1963年(昭和38年)1月 - 定時制農業課程の募集を再開。全日制農村家庭科を生活科に改組。
- 1968年(昭和43年)
- 4月1日 - 全日制有畜農業科を農業科に改組し畜産科を1学級増設。全日制農産化学科を新設。定時制課程の募集を停止。
- 9月 - 新校舎の一部が完成し、まず1年生が新校舎に移転し授業を開始。
- 1969年(昭和44年)3月 - 全学年が新校舎に移転を完了。
- 1971年(昭和46年)3月31日 - 定時制課程を廃止。
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 農産化学科を食品化学科に改組。
- 1981年(昭和56年)4月1日 - 畜産科を1学級減じる。
- 1990年(平成2年)4月1日 - 生活科を生活科学科に改組。
- 1991年(平成3年)4月1日 - 生産流通科を新設。農業科と畜産科の募集を停止。
- 1993年(平成5年)
- 3月31日 - 農業科と畜産科を閉科。
- 4月1日 - 畜産科の閉科により「宮崎県立高原高等学校」に改称。
- 1994年(平成6年)4月1日 - 福祉生活科を新設。生活科学科の募集を停止。
- 1996年(平成8年)3月31日 - 生活科学科を閉科。
- 1997年(平成9年)11月 - 管理棟の大規模改修を実施。
- 2002年(平成14年)6月 - 運動場を整備。
- 2003年(平成15年)
- 2月 - 普通教室棟の大規模改修を実施。
- 4月1日 - 福祉科学科を福祉科に改組。
- 2011年(平成23年)4月1日 - 宮崎県立小林秀峰高等学校の新設により、生徒募集を停止。
- 2013年(平成25年)
交通
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 宮崎交通「霧島団地前」バス停
- 最寄りの幹線道路
周辺
[編集]- 高原町総合運動公園
- 高原町立高原中学校
脚注
[編集]- ^ 1948年(昭和23年)の学制改革の際に、宮崎県立都城工業学校と都城市立都城女子商業学校を母体として、新制「宮崎県立都城都島高等学校」として開校。通常制(全日制)普通課程・工業課程・商業課程、定時制工業課程・商業課程・農業課程・家庭課程を有する総合制の高等学校であった。後に都城泉ヶ丘高等学校から通常制農業課程が移管された。1961年(昭和36年)に工業課程が宮崎県立都城工業高等学校として独立、1962年(昭和37年)に普通課程が宮崎県立都城都島第二高等学校として独立し、農業課程が1965年(昭和40年)に宮崎県立都城農業高等学校に改称した。