高尾鉄叟
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高尾 鉄叟(たかお てっそう、1831年(天保2年9月[1])- 1905年(明治38年)2月15日[1])は、日本の剣術家、柔術家。流派は鉄仲流剣術、真心揚流柔術。称号は大日本武徳会剣道範士。号は独立斎。
経歴
[編集]肥前国長崎生まれ。神陰一刀流を開いた水戸浪人・赤松則之(鉄仲)に1843年(天保14年)より剣術を学ぶ。1849年(嘉永2年)に免許を得て、九州を2度廻国修業する。
1854年(安政元年)、流名を師の号から採った「鉄仲流」に改め、江戸に道場・練武館を開くが、翌年の安政の大地震で焼失した。その後、関八州を廻国修業し、相模国浦賀で中山作三郎に蘭学を学んだ。
1857年(安政4年)、岡山藩主に招かれ、備中で約2年剣術を指導する。1859年(安政6年)、師の赤松則之の死により長崎に戻る。1860年(万延元年)、長崎奉行所の剣術道場・乃武館の教授に就任。
1865年(慶応元年)、第二次長州征討に従軍。1867年(慶応3年)、長崎奉行配下の治安維持部隊「遊撃隊」の師範となる。
道場・報国館を開き剣術と柔術を指導した。明治維新後は、警察や学校等でも剣術を指導した。長崎県において鉄叟は柴江運八郎(神道無念流)と並ぶ達人として知られるようになった。弟子に剣道十段となった中野宗助がいる。