高山八幡宮
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高山八幡宮 | |
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所在地 | 奈良県生駒市高山町12679-1 |
位置 | 北緯34度44分42秒 東経135度43分20秒 / 北緯34.74500度 東経135.72222度座標: 北緯34度44分42秒 東経135度43分20秒 / 北緯34.74500度 東経135.72222度 |
主祭神 |
誉田別名 足仲津彦命 息長足比売命 |
創建 | 天平勝宝元年(749年) |
本殿の様式 | 三間社流造 |
地図 |
高山八幡宮(たかやまはちまんぐう)は、奈良県生駒市高山町字大門にある神社である。社格は旧村社。本殿は国の重要文化財に指定されている。
祭神
[編集]祭神は誉田別名(ほんだわけのみこと=応神天皇)、足仲津彦命(たらしなかつひこのみこと=仲哀天皇)、息長足比売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)の三柱で、中世以来高山を支配した鷹山氏の氏神とされている[1]。
歴史
[編集]正確な創建年代は不明であるが、『続日本紀』の「天平勝宝元年(749年)十二月十八日、奈良東大寺に勧請する宇佐八幡宮を平群郡で迎えしめた」という記事が充てられ、この年代が創建と伝えられている[2]。
中世期には、当地・鷹山荘の土豪、鷹山氏の武神として崇拝された[2]。文明6年(1474年)の戦火により社殿が焼失したが[3]、元亀3年(1572年)に鷹山藤逸によって再建される[4]。天正13年(1585年)に鷹山氏が筒井氏に従って伊賀へ去ると[5]、帰農した鷹山氏の旧臣たちは[5]、茶筅製作を生業とし、その際に、無足人座と称する宮座を結成し、当社の神殿に最も近い位置に、座小屋を有した[6]。
江戸時代には寛永、元禄、享保の各年代の本殿棟札から、法楽寺・西光寺・上坊・中坊が神宮寺的役割をしたと推察される[2]。
文化財
[編集]重要文化財(国指定)
[編集]- 高山八幡宮本殿[7]
市指定無形民俗文化財
[編集]- 高山八幡宮宮座行事
ギャラリー
[編集]-
拝殿
(2018年6月16日撮影) -
参道入り口
(2018年6月16日撮影) -
境内1
(2018年6月16日撮影) -
境内2
(2018年6月16日撮影) -
修復中境内屋根1
(2018年6月16日撮影) -
修復中境内屋根2
(2018年6月16日撮影) -
修復中境内屋根3
(2018年6月16日撮影) -
修復中境内屋根4
(2018年6月16日撮影)
脚注
[編集]- ^ 生駒市教育委員会 編『生駒市指定文化財(第1集)』生駒市教育委員会、2003年。
- ^ a b c 平凡社 1997, p. 527.
- ^ 生駒市教育委員会 2020, p. 2; 野口 1974a, pp. 101, 105.
- ^ 生駒市教育委員会 2020, pp. 2, 175; 野口 1974a, p. 101.
- ^ a b 生駒市教育委員会 2020, p. 2.
- ^ 生駒市教育委員会 2020, p. 2; 平凡社 1997, p. 527.
- ^ 『国指定重要文化財高山八幡宮本殿』高山八幡宮、1988年8月。
参考文献
[編集]- 生駒市教育委員会 編『興福院所蔵 鷹山家文書調査報告書』生駒市教育委員会〈生駒市文化財調査報告書 第38集〉、2020年。
- 野口省吾「大和高山の宮座(一)―奈良県生駒市高山町―」『ソシオロジ』第18巻、第3号、1974年。doi:10.14959/soshioroji.18.3_90。
- 野口省吾「大和高山の宮座(二)―奈良県生駒市高山町―」『ソシオロジ』第19巻、第1号、1974年。doi:10.14959/soshioroji.19.1_79。
- 平凡社 編『大和・紀伊寺院神社大事典』平凡社、1997年。ISBN 4-582-13402-5。