高山甚太郎
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高山 甚太郎(たかやま じんたろう、1857年3月26日(安政4年3月1日[1][2][注 1]) - 1914年(大正3年)10月23日[3])は、明治から大正時代の応用化学者。東京工業試験所初代所長。位階および勲等は正四位・勲三等。
経歴
[編集]加賀大聖寺藩士、高山慈吾の長男[1][2]。1878年(明治11年)東京大学化学科を卒業して理学士の称号を得、理科大学助教授、農商務省権少技長四等技師、農商務省総務局分拆課長などを歴任[2]。耐火材料の研究に従事した[3]。
1889年(明治22年)ドイツに渡り、工芸大学に入り地質学を研究し、1891年(明治24年)帰朝し工学博士の学位を授かる[2]。のち、農商務技師、東京工業学校嘱託教授、製鉄所技師審判官などを経て[2]、1900年(明治33年)東京工業試験所初代所長となった[3]。日本化学会、工業化学会会長[3]。 墓所は雑司が谷霊園1-4a-2-13にあったが、無縁撤去となった。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『講談社日本人名大辞典』1122頁では安政2年12月1日生。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。