高嵩月
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高 嵩月(こうすうげつ、宝暦5年(1755年[1]) - 文政13年8月29日(1830年10月15日[2]))は江戸時代の英派の絵師。観嵩月とも表記される。
来歴
[編集]高嵩谷の門人。氏は坂本[3]、名は常雄。字は子行または巨熊。嵩月、蓑虫庵、景訥、観、卓朗斎、(草冠+鹿)菴と号す。生家は筑島屋といい、もともとは材木屋だったが、祖父・坂本雪花斎の代に別家し、地主として地代で生活していた[3]。父は幕府御用達という池之端仲町の小間物手遊類問屋の大槌屋(新井氏)からの養子だった[3]。祖父の代から俳号を持っており、祖父の姉または妹が江戸座の俳人・岡田米仲の妻になり、自身も米化という俳名を持つなど俳諧グループとの繋がりもあった[3]。
久松町に住んでおり、主に寛政から文政にかけて活躍、肉筆画のほかにわずかに版画、摺物を残している。一方、書画に精通しており、菅原洞斎著『画師姓名冠字類鈔』や朝岡興禎著『古画備考』に、情報の提供や仲介をし、その成立に大きな貢献を果たした。嵩月の祖父の長屋に晩年の尾形乾山が住んだ(『古画備考』巻三十五)という縁からか、酒井抱一にも乾山の情報を提供している[4]。嵩月自身も、『画師冠字類考』(西尾市岩瀬文庫蔵)を編著している。戒名は観月院湘室景納居士、墓は深川の陽岳寺で、金3両で妻と共に永代供養を契約したためか、現在も陽岳寺の本堂前に観月の墓石は残っている[5]。また、その墓の隣にはやはり金1両で永代供養を約した英一蝶 (2代目)の墓が建っている[5]。
作品
[編集]作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横x奥行cm) | 所有者 | 年代 | 落款・印章 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
末広がり図 | 板金地著色 | 絵馬1面 | 100.0x148.5x6.0 | 法明寺 (豊島区) | 款記「観嵩月圖」/印文不明朱文方印 | 狂言「末広がり」に取材[6]。 | |
源為朝と鬼図 | 絵馬1面 | 三囲神社 | |||||
信玄と謙信図 | 絵馬1面 | 瀧泉寺(目黒不動) |
- 錦絵
- 「紅葉にみの虫」 横大錦
- 「花扇の使」 扇面
脚注
[編集]- ^ 結城素明 『東京美術家墓所誌』 1936年、p.145に歿年七十六とあることから逆算。
- ^ 『古画備考』より、『武江年表』や陽岳寺に残る墓石では文政13年11月20日(1831年1月3日没としているが、これは嵩月の遺言状に「何ヶ月に没しても忌日は十一月ノ廿日也」と没日を変更したためである。しかし、なぜ嵩月がこの日に拘ったかは不明(井田(2016)p.32)。
- ^ a b c d 井田(2016)p.29。
- ^ 井田(2016)p.31。
- ^ a b 井田(2016)p.32。
- ^ 威光山法明寺 近江正典編 『雑司ヶ谷鬼子母神堂開堂三百五十年・重要文化財指定記念 雑司ヶ谷鬼子母神堂』 勉誠出版、2016年11月28日、pp.80,132、ISBN 978-4-585-21036-8。
参考文献
[編集]- 日本浮世絵協会編『原色浮世絵大百科事典』第2巻 大修館書店、1982年
- 古画備考研究会編 『原本『古画備考』のネットワーク』 思文閣出版、2013年2月、ISBN 978-4-7842-1674-1
- 井田太郎 「本を読む 観嵩月という結節点 血縁と基本資料」『書物學 BIBLIOLOGY 第8巻』 勉誠出版、2016年8月8日、pp.27-33、ISBN 978-4-585-20708-5