高嶋平介 (2代)
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高嶋 平介[1][2](高島 平介[3][4][5]、たかしま へいすけ、前名・政吉[2][6]、1876年(明治9年)3月27日[6] - 没年不明)は、日本の政治家、実業家、兵庫県多額納税者[4]。兵庫県武庫郡御影町会議員[2][7]。高嶋平介商店社長[1][2][4][7]。族籍は兵庫県平民[3][6]。
経歴
[編集]兵庫県武庫郡御影町東明(現神戸市東灘区御影塚町)出身。平介の長男[2][4][8]。1913年、家督を相続し、前名・政吉を改め襲名した[2][8]。父業の味醂焼酎醸造並奈良漬製造業を営んだ[2]。竹庄商店監査役を務めた[4][8]。
人物
[編集]高島平介について、『商工資産信用録 第29回』には「職業・味醂、焼酎、調査年月・1928年6月、正身身代・L、信用程度・A」とある[9]。
『商工資産信用録 第34回 近畿版』には「職業・質、味醂、焼酎、調査年月・1932年6月、正身身代・未詳、信用程度・B」とある[10]。
趣味は読書[2]、旅行[4]。宗教は真宗[2][4]。住所は武庫郡御影町東明[2][5][7]。
家族・親族
[編集]- 高嶋家
高嶋家の初代平介は灘五郷の酒造家より酒粕を買い、酒粕の仲買業を営んでいたが、1870年に、酒粕から粕取り焼酎の製造を始めるべく焼酎製造免許を取得した[11]。
- 父・平介(兵庫平民)[3][6]
- 母・たけ(1848年 - ?、兵庫、鯉谷重吉の長女)[3][6]
- 妻・しか(1884年 - ?、兵庫、平木徳治郎の妹[2][4]、平木松太郎の長女[3][6])
- 長女・綾子(1905年 - ?、兵庫、岡村丹二の妻)[2][4]
- 三女(1919年 - ?)[2][3]
- 四女(1923年 - ?)[8]
- 五女(1925年 - ?)[8]
- 長男・平介(1913年 - 2006年、前名・泰二[2]、兵庫漬物社長)
- 二男・好郎[6](1915年 - ?、岡山、服部一雄の養子)[7]
- 三男(1921年 - ?)[8]
- 四男(1926年 - ?)[4]
脚注
[編集]- ^ a b 『日本全国諸会社役員録 第43回』兵庫県 上編850頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第13版 下』タ110頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月13日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第6版』た116頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第11版 下』タ150頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月13日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第38版』神戸タの部105頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第5版』た128頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月13日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第14版 下』タ109頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月15日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第9版』タ103頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月13日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第29回』兵庫県た之部43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月30日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第34回 近畿版』兵庫県た之部38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月30日閲覧。
- ^ ごあいさつ、高嶋酒類食品株式会社代表取締役社長 高嶋善平、公式サイト。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第29回』商業興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 『商工資産信用録 第34回 近畿版』商業興信所、1933年。
- 交詢社編『日本紳士録 第38版』交詢社、1934年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第43回』商業興信所、1935年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937-1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。