高川文筌
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高川文筌(たかがわぶんせん、文政元年(1818年) - 没年不明)は、江戸時代後期に活躍した絵師である。
谷文晁の弟子で、早期の作品は三上文筌(みかみぶんせん)の名でも遺されている。
略歴
[編集]1818年(文政元年)、旧武蔵国入間郡所沢村下宿(したじゅく、現在の埼玉県所沢市御幸町)に生まれた。 1850年(嘉永3年)32歳の頃、信州松代藩の医師、高川家の養子に入って高川姓を名乗り、以降は「高川文筌」の名で同藩の御用絵師としても活躍した。1853年(嘉永6年)、黒船来航の際に松代藩は横浜の警備を命じられたことから、同行した文筌は黒船来航絵巻などを描き、これらの作品では広くその名を知られた。 没年不明。
主な作品
[編集]作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款・印章 | 備考 |
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黒船来航絵巻(「船中歌舞図」・「船中弦歌図」) | 東京大学附属図書館[1] | ||||||
亜米利加使節饗応之図(あめりかしせつきょうおうのず) | 個人(福山市寄託[2]) | ||||||
米国使節ペリー渡来絵図写生帖 | 東京大学史料編纂所 | ||||||
ペリー渡来絵図貼交屏風 | 東京大学史料編纂所 | ||||||
横浜応接場秘図 | 真田宝物館[3] | ||||||
真田幸貫画像 | 個人 | 貞松院詠歌賛[4] | |||||
浦賀紀行図 | 横須賀市自然・人文博物館[5] |
その他の作品
[編集]彼の出生地である今日の埼玉県所沢市内の社寺などには、高川家への養子入り以前の名で「三上文筌 筆」と署名のある作品が数点現存している。
参考資料
[編集]- 論文
- 『高川文筌論』 影山純夫(著) - 収録:機関紙「松代」9号(1996年(平成8年)3月発行)
- 『高川文筌について—資料紹介と横浜応接場での様子—』 松下愛(著)
脚註
[編集]- ^ 東京大学附属図書館 記念特別展示 2012年4月閲覧
- ^ 日米和親条約交渉の絵巻寄託 藩主の子孫が福山市に 2012年4月閲覧
- ^ 長野市ホームページ 真田宝物館 新館第一展示室 2012年4月閲覧
- ^ 長野市教育委員会文化財課松代文化施設等管理事務所(真田宝物館)編集・発行 『平成29年 真田宝物館企画展「真田の姫たち」』 2017年7月、p.70。
- ^ 横須賀市自然・人文博物館 2012年4月閲覧
- ^ 所沢市ホームページ 三上文筌筆 坂稲荷神社社殿装飾絵 2012年4月閲覧
- ^ 「未公開の虎の絵馬」 - 市民新聞ところさわ (2010年1月8日 No.364)
- ^ 所沢市ホームページ 三上文筌筆 富士巻狩図大絵馬 2012年4月閲覧