高平銀行
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒669-1416 兵庫県有馬郡高平村 (現在の兵庫県三田市下里) |
設立 | 1896年7月6日 |
業種 | 銀行業 |
代表者 | 土谷清太郎 頭取 |
資本金 |
30,000円 (1896年) 500,000円 (1922年) |
関係する人物 |
奥野慶太郎 取締役 椙貫岳 取締役 古池長太郎 監査役 |
特記事項:1931年8月28日 免許取消 |
株式会社高平銀行(-たかひらぎんこう、1896年7月6日 設立 - 1931年8月28日 免許取消)は、かつて存在した日本の銀行である。「大正バブル」崩壊を前後として消滅した銀行である。
略歴・概要
[編集]1896年(明治29年)7月6日、兵庫県有馬郡高平村(現在の同県三田市下里)に設立[1]。当初は資本金3万円で営業開始した。
1922年(大正11年)11月、高倉為三が実権を握る京都市・日本積善銀行の取り付け騒ぎと休業に始まる、銀行の連鎖的な休業の流れの中で、京和銀行、京和貯蓄銀行、報徳銀行、報徳貯蓄銀行、下谷銀行、高平銀行、四谷銀行、国民銀行、大分銀行が順次休業に追い込まれた[2]。高平銀行は、神戸市元町通り4丁目の神戸支店、加納町(現在の神戸市中央区加納町)の加納町出張所、平野(現在の神戸市兵庫区平野町)の平野出張所、湊川(神戸市中央区西部地区)の湊川出張所、東雲(現在の神戸市中央区東雲通)の東雲派出所、春日野(現在の神戸市中央区東雲通)の春日野派出所、武庫郡精道村蘆屋(現在の芦屋市)の蘆屋支店について、日本積善銀行の破綻以来、取り付けが起きていたが、同年12月14日、預金者が殺到し、同月15日から2週間の休業を発表した[3]。半年後の1923年(大正12年)5月1日に営業を再開した。
1931年(昭和6年)8月28日、営業免許取消となった。後継銀行はない[1]。
註
[編集]- ^ a b 「銀行図書館」サイト内の「銀行変遷史データベース」の記事「高平銀行」の記述を参照。
- ^ 小川功の論文『老舗庶民金融機関のビジネス・モデル変容と頭取の「虚業家」的性格 - 破綻行・共栄貯金銀行頭取小出熊吉を中心として』の記述を参照。
- ^ 『大阪朝日新聞』掲載の1922年12月16日付記事「東京の有力銀行が協議 各所に起る取付に関し」(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)の記述を参照。