高広次平 (2代)
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2代 高広 次平(たかひろ じへい、1859年2月19日(安政6年1月17日[1]) - 1920年(大正9年)8月26日[2])は、明治時代後期から大正時代の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]越中国礪波郡福岡町(富山県西礪波郡福岡町を経て現高岡市)に生まれ、高広彦八の長男彦造の婿養子となり、のち襲名する[3]。福岡町会議員を経て[2]、1889年(明治22年)初代福岡町長に就任する[3]。1895年(明治28年)福岡同盟銀行を創業し頭取に就任[3]。ほか、北陸海上保険社長、広通、高岡共立銀行、中越鉄道各取締役などを歴任した[2]。
1900年(明治33年)富山県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年6月13日[4]から1903年(明治36年)2月6日[5]まで在任した[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 竹内理三ほか 編纂『富山県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典16、角川書店、1992年。ISBN 4040021606。