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高広次平 (2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2代 高広 次平(たかひろ じへい、1859年2月19日(安政6年1月17日[1]) - 1920年大正9年)8月26日[2])は、明治時代後期から大正時代の政治家銀行家実業家貴族院多額納税者議員

経歴

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越中国礪波郡福岡町富山県西礪波郡福岡町を経て現高岡市)に生まれ、高広彦八の長男彦造の婿養子となり、のち襲名する[3]。福岡町会議員を経て[2]1889年(明治22年)初代福岡町長に就任する[3]1895年(明治28年)福岡同盟銀行を創業し頭取に就任[3]。ほか、北陸海上保険社長、広通、高岡共立銀行、中越鉄道各取締役などを歴任した[2]

1900年(明治33年)富山県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年6月13日[4]から1903年(明治36年)2月6日[5]まで在任した[2]

親族

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脚注

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  1. ^ 『大正人名辞典 第3版』206頁。
  2. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1960, 201頁.
  3. ^ a b c d 竹内ほか 1992, 281頁.
  4. ^ 『官報』第5083号、明治33年6月14日。
  5. ^ 『官報』第5877号、明治36年2月7日。

参考文献

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  • 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963 
  • 竹内理三ほか 編纂『富山県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典16、角川書店、1992年。ISBN 4040021606