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高思宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高 思宗(こう しそう、生没年不詳)は、東魏から北斉にかけての人物。本貫渤海郡蓨県高歓の祖父の弟の高稚の曾孫にあたる。

経歴

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高雍(高陀の子)の子として生まれた。武定末年、中軍将軍・儀同三司の位を受け、兗州刺史に任じられた。上洛郡開国男に封じられた[1]。北斉の天保元年(550年)6月、上洛郡王に封じられた[2][3][4]。清都尹をつとめた[5][6]武平元年(570年)10月、司空に上った[7][8][9]太傅となり、在官のまま死去した[10][11]

子に高元海[12][11]・高孝緒[10][13]があった。

脚注

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  1. ^ 魏書 1974, p. 756.
  2. ^ 氣賀澤 2021, p. 79.
  3. ^ 北斉書 1972, p. 52.
  4. ^ 北史 1974, p. 246.
  5. ^ 北斉書 1972, p. 470.
  6. ^ 北史 1974, p. 1018.
  7. ^ 氣賀澤 2021, p. 131.
  8. ^ 北斉書 1972, p. 104.
  9. ^ 北史 1974, p. 292.
  10. ^ a b 北斉書 1972, p. 182.
  11. ^ a b 北史 1974, p. 1852.
  12. ^ 北斉書 1972, p. 183.
  13. ^ 北史 1974, p. 1851.

伝記資料

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参考文献

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  • 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6 
  • 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1 
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4 
  • 『魏書』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00313-3