高普
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高 普(こう ふ、生没年不詳)は、北斉の皇族。字は徳広[1][2]。高歓の従甥にあたる。
経歴
[編集]高帰義の子として生まれた。9歳のとき、叔父の高帰彦とともに河州から洛陽に入った。高歓は高普を諸子と一緒に遊ばせた[1][2]。東魏の武定末年、安南将軍・太子左衛率となった[3]。天保元年(550年)5月に北斉が建てられると、6月に高普は武興郡王に封じられた[4][5][6]。河清3年(564年)3月、尚書左僕射となった[7][8][9]。天統2年(566年)5月、尚書令に進んだ[10][11][12]。武平2年(571年)、司空に上った[1][2]。武平4年(573年)4月、司徒に転じた[13][14][15]。武平6年(575年)、豫州道行台・尚書令となった。武平7年(576年)、後主が鄴に撤退すると、高普は太宰の位を加えられた。周軍が迫ると、高普は北周に降った。のちに長安で死去した。上開府・豫州刺史の位を追贈された[1][2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 北斉書 1972, p. 189.
- ^ a b c d 北史 1974, p. 1858.
- ^ 魏書 1974, p. 755.
- ^ 氣賀澤 2021, p. 79.
- ^ 北斉書 1972, p. 52.
- ^ 北史 1974, p. 246.
- ^ 氣賀澤 2021, p. 120.
- ^ 北斉書 1972, p. 92.
- ^ 北史 1974, p. 284.
- ^ 氣賀澤 2021, p. 125.
- ^ 北斉書 1972, p. 98.
- ^ 北史 1974, p. 288.
- ^ 氣賀澤 2021, p. 134.
- ^ 北斉書 1972, p. 107.
- ^ 北史 1974, p. 294.
伝記資料
[編集]参考文献
[編集]- 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6。
- 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1。
- 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4。
- 『魏書』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00313-3。