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高木守富

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
高木守富
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦13年1月29日1763年3月13日
死没 天保5年2月24日1834年4月2日
改名 豊松(幼名)、守富
別名 善左衛門(通称
墓所 東京都杉並区永福の栖岸院
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家治家斉
氏族 高木氏
父母 高木守節
林忠篤
内藤忠意正義守孝守影
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高木 守富(たかぎ もりとみ)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本。石高は5,000石。通称は善左衛門。官位従五位下伊勢守近江守剣術家玉影流を開いた。

略歴

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河内国丹南藩祖・高木正次の弟・守次の系統。丹南藩分家筋の大身旗本・高木守節の子として誕生した。幼名を豊松。

父・守節(当時中奥小姓)が34歳で没し、明和5年(1768年)11月4日5歳にして家督を継ぐ。天明6年(1786年)12月18日、従五位下・伊勢守に叙任された。小姓組番頭西丸書院番頭、本丸書院番頭、大番頭駿府城代などを歴任した。天保5年(1834年)、72歳で没した。墓所は麹町の栖岸院(現在は杉並区永福に移転)。家督は正室所生の四男守影が継いだ。

若いころより武芸を好み、一心流一宮流信心流直心影流など心五流を修めて、玉影流を開いた。

子孫は守影、守庸と続き、守庸の次男の正善は丹南藩主正坦の養嗣子となり、同藩最後の13代藩主となった。

参考文献

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  • 『別冊歴史読本 幕末明治剣客剣豪総覧』新人物往来社
  • 『日本人名大辞典』講談社