高木文平
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高木 文平(たかぎ ぶんぺい、天保14年3月11日(1843年4月10日) - 明治43年(1910年)9月27日)は、丹波国北桑田郡神吉村(現・京都府南丹市)生まれの経済人。高木豊三の兄。
経歴
[編集]高木家は現在の京都府南丹市で、旗本武田兵庫の代官も務めた地元の豪農であった。明治維新後は、地元で学校教育の指導などを行っていたがその後実業界に転じ、1882年には京都商工会議所の初代会長に選出された。また1888年には米国視察を経験し、現地(マサチューセッツ州ホリヨークなど)で電気鉄道を目の当たりにし、日本でもこれを実現すべく奔走した。結果、1894年に日本初の市街電車となる「京都電気鉄道会社」を立ち上げ、自ら社長に就任した。その後、政界でも府議会議員、市議会議員として活躍。1900年には同郷の中川小十郎が設立にした京都法政学校(現在の学校法人立命館、立命館大学)の設立賛助員も務めている。
出典
[編集]- 『中川小十郎と京都帝国大学設立事情および京都法政学校.の創立』(著・松本皎)「立命館百年史紀要 第1号」(103頁-141頁)
- 『立命館関係「人物史」稿(戦前編)』(著・松本皎)「立命館百年史紀要 第3号」(163頁-230頁)