高木貞久
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正11年(1583年) |
別名 | 丞介、彦左衛門 |
戒名 | 無楽 |
主君 | 斎藤道三、織田信長、信孝 |
氏族 | 美濃衆西高木家 |
父母 |
樋口氏 高木貞次 |
妻 | 高木貞次娘 |
子 |
貞家、貞利、貞秀、貞西、貞友、 田中喜兵衛室、今尾氏室 |
高木 貞久(たかぎ さだひさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。美濃衆西高木家2代。
生涯
[編集]美濃国駒野城主・高木貞次の婿養子として家督を継ぐ。斎藤道三の家臣であり、西美濃三人衆の安藤守就に属した。後年、織田信長に従い、今尾城主に転出する。天正10年(1582年)本能寺の変後は織田信孝に仕えたが、翌年信孝も没すると駒野に隠居し、同年に死去した。
長男の貞家は父に先立って死去したが、その遺児の貞俊が北高木家、次男の貞利が西高木家、五男の貞友が東高木家と称して美濃衆を形成した。