高村亜留
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高村 亜留 | |
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出生名 | 高村 亜留 |
生誕 | 1961年9月25日 |
出身地 | 日本・東京都 |
死没 | 2014年8月14日(52歳没) |
ジャンル | |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1985年 - 1986年 |
レーベル | Invitation |
事務所 | ビーイング |
共同作業者 |
高村 亜留(たかむら ある、1961年9月25日[1] - 2014年8月14日)は、日本の女性歌手。1985年にビクター音楽産業のレーベルInvitationよりデビュー。1986年まで活動した。
高村光雲の曾孫。光雲の息子・高村光太郎、高村豊周は祖父の兄弟[1]。写真家の高村規は伯父。
来歴
[編集]「亜留」という名前は、「これから国際交流が盛んになる」ということから、どこの国の人にとっても呼びやすいようにとして名付けられた[1]。
1977年、女子美術大学付属高等学校在学中[1]の16歳の時に「お母さん、私、歌手になるわ!」と宣言して、ロックバンドに加入。最初はキッスやエアロスミスのコピーを行い、次にルーファス・ウェインライトやシェリル・リンなどのソウルでシャウトしながら独特の声を鍛えた。ある時、コピーはあくまで模倣であることを悟り、日本語詞を自分なりに唄うことに目覚める。
1985年、アルバム『ARU FIRST』、シングル「ハートブレイク・サマービーチ」の同時発売でメジャー・デビュー。
ディスコグラフィ
[編集]シングル
[編集]# | 発売日 | タイトル | B面 | 規格 | 規格品番 |
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Invitation | |||||
1st | 1985年5月21日 | ハートブレイク・サマービーチ | ブレーキ踏んで怒って | 7inch | VIHXー1666 |
2nd | 1985年11月5日 | 心を染めて | ラスト・チャンス | 7inch | VIHX-1676 |
アルバム
[編集]オリジナル・アルバム
[編集]発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | |
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Invitation | ||||
1st | 1985年5月21日 | ARU FIRST | LP | VIH-28220 |
CT | VCF-10241 | |||
CD | VDR-1058 | |||
2nd | 1986年1月21日 | Ta Ta Ya My Love〜ARU 2nd.〜 | LP | VIH-28243 |
CT | VCF-10265 | |||
CD | VDR-1141 |
参加作品
[編集]発売日 | 商品名 | 歌 | 楽曲 | 備考 |
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1986年5月21日 | Stimulus | 鳴瀬喜博 | 「In The Small Hours」 | ボーカルとして参加。 |
タイアップ
[編集]曲名 | タイアップ | 収録作品 |
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心を染めて | フジテレビ系全国ネット『小さな訪問者』(制作・東海テレビ)[3]主題歌[1] | シングル「心を染めて」 |
コンサート
[編集]- 鳴瀬喜博LIVE - 刺激・過激・感激ライブ!!(1986年5月23日東京・渋谷LIVE INN)- Char、大谷令文、人見元基とともにジョイントコンサート。
- ベース:鳴瀬喜博、ギター:斉藤英夫、ドラム:北村ケンタ、キーボード:緒方泰男。2部構成。