高松敬治
表示
高松 敬治(たかまつ けいじ、1920年(大正9年)10月20日[1] - 1989年(平成元年)8月27日[1])は、日本の内務・警察官僚。富山県出身[2]。
概要
[編集]東京帝国大学法学部卒業後、高等試験に合格し、1942年に内務省に入省し、警保局に勤務[2]。1946年に内務省調査局に勤務 [2]。1947年に新潟県警察部警務課長、1948年に国家地方札幌警察管区本部刑事部捜査課長、1949年に国家地方警察本部刑事部捜査課課長補佐、1954年に警視庁刑事部捜査第二課長、1956年に山形県警本部長、1957年に北海道警察本部警務部長、1958年に大阪府警察本部刑事部長、1960年に警察庁刑事局鑑識課長、1961年に防衛庁人事局人事第一課長、1963年に警察庁刑事局捜査第二課長、同年に警察庁刑事局捜査第一課長、1966年に静岡県警本部長を歴任した[2]。静岡県警本部長時代の1968年に金嬉老事件が発生し、事件処理にあたった[3]。同年に大阪府警察本部長、1969年に警察大学校校長、同年に警察庁刑事局長、1972年に防衛施設庁長官を歴任した[2]。1974年に退官。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 佐々淳行『連合赤軍「あさま山荘」事件』文藝春秋(文春文庫)、1999年。ISBN 978-4167560058。
- 小山善一郎、石丸陽『日本警察官僚総合名鑑』新時代社、2005年。ISBN 9784787491053。