高松長三
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高松 長三(たかまつ ちょうぞう、旧姓・矢口、1884年(明治17年)7月1日[1] - 1955年(昭和30年)1月12日[2])は、日本の政治家(衆議院議員)[3]、海軍軍人(階級は海軍主計少将)。相模運輸社長[4]。三笠保存会顧問[4][5]。
経歴
[編集]栃木県塩谷郡北高根沢村(現在の高根沢町)に生まれる[3]。矢口長右衛門の三男[5]。高松家の婿養子となった。1909年(明治42年)に東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業[6]。
主計試補に任じ、1912年(大正元年)に海軍主計大尉に任官[5]。1918年(大正7年)に主計少監に進み、1932年(昭和7年)に主計少将に累進する[5]。その間、磐手主計長兼分隊長、海軍省軍需局局員、横須賀海軍経理部第一課長、横須賀海軍工廠会計部長、軍需局第三課長、海軍経理学校教官、連合艦隊主計長、横須賀海軍軍需部長を歴任した[5]。1934年(昭和9年)、予備役[5]。
1936年(昭和11年)、第19回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。立憲民政党に所属[3][5]。
その他、相模運輸株式会社取締役を務めた[7]。
人物
[編集]宗教は真宗[4]。趣味は武技、スポーツ[4][5]。住所は東京日暮里[4]。
家族・親族
[編集]- 高松家
- 親戚
- 実兄・矢口長右衛門(貴族院議員、栃木県多額納税者)
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、13頁。
- ^ 『昭和物故人名録』
- ^ a b c 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』173頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第12版 下』タ177頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第11版 下』タ216頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月18日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正元年 至大正2年』学士及卒業生姓名 法学士 法律学科93頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月18日閲覧。
- ^ 『衆議院要覧』
参考文献
[編集]- 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正元年 至大正2年』東京帝国大学、1913 - 1924年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 『衆議院要覧(乙) 昭和11年3月』衆議院事務局、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 『昭和物故人名録』日外アソシエーツ、1983年。