高橋小十郎
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高橋 小十郎(たかはし こじゅうろう、1845年2月9日(弘化2年1月3日[1][2])- 1911年(明治44年)9月5日[1][2][3][4])は、明治期の実業家、政治家。旧名・小野田久助[1][2]。
経歴
[編集]三河国渥美郡高塚村[1][2](愛知県[3]渥美郡高塚村、豊南村、高塚村、高根村、高豊村[4]を経て現豊橋市高塚町)で、小野田久二郎の二男として生まれた[1][2]。同村、小野田吉次郎の寺子屋で学んだ[1]。1854年(安政元年)吉田(豊橋)船町の回漕肥料店・高橋小十郎家に奉公した[1][2]。1870年(明治3年)主人、高橋小十郎が死去し、跡取り不在のため高橋家を継承し、小十郎を襲名した[1][2]。
継承した回漕業の経営を次第に拡大し、豊橋一の回漕問屋に成長させた[1]。また、豊橋市街第一番組長会議員、渥美郡町村連合会議員、豊橋商談会議員、豊橋町会議員、豊橋商業会議所常議員、豊橋米穀取引所監査役などを務めた[1][2][3][4]。
1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(愛知県第11区、立憲革新党)で当選し[1][2][5]、その後、進歩党に所属し衆議院議員に1期在任した[3][4]。
その後、1898年(明治31年)三遠銀行頭取、1907年(明治40年)豊橋商業会議所会頭にそれぞれ就任した[1][2]。