高橋昭博
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高橋 昭博(たかはし あきひろ、1931年7月26日[1] - 2011年11月2日)は、日本の元地方公務員(広島市元職員)、原爆被爆者。広島平和記念資料館元館長。被爆体験の証言活動を行っていた[2]。
略歴
[編集]広島県広島市西区出身[3]。1945年8月6日、旧制広島市立中学校(現・広島市立基町高等学校)2年在学中、爆心地から約1.4キロ離れた中広町の校庭で被爆。1951年、広島市職員となる。
1979年4月から1983年3月まで第7代広島平和記念資料館館長を務めた。
1995年3月まで広島平和文化センター事業部長を務め、退職。
2011年11月2日、心不全のため広島市中区の病院で死去。80歳没[2][3]。
著書
[編集]- 『ヒロシマ、ひとりからの出発』ISBN 9784480050045
- 『きみはヒロシマを見たか ― 広島原爆資料館』 ISBN 9784140082904
- 『絵本ヒロシマのおとうさん ― ヒロシマの心を子どもたちに』(絵 四国五郎)ISBN 9784811370941
- 『ヒバクシャのこころ』汐文社,1984年8月
- 『ヒロシマ いのちの伝言―被爆者 高橋昭博の50年』ISBN 9784582824100
脚注
[編集]- ^ “高橋昭博”. コトバンク. 2011年11月4日閲覧。
- ^ a b “訃報:高橋昭博さん80歳=元広島原爆資料館長”. 毎日新聞. (2011年11月2日) 2011年11月4日閲覧。
- ^ a b “元原爆資料館長の高橋氏死去”. 中国新聞. (2011年11月2日) 2011年11月4日閲覧。