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高歩院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高歩院
鉄舟会道場。高歩院に隣接してある。
鉄舟会道場。高歩院に隣接してある。
所在地 東京都中野区中央1-22-3
位置 北緯35度41分59.8秒 東経139度41分11.9秒 / 北緯35.699944度 東経139.686639度 / 35.699944; 139.686639座標: 北緯35度41分59.8秒 東経139度41分11.9秒 / 北緯35.699944度 東経139.686639度 / 35.699944; 139.686639
山号 鎮国山
院号 高歩院
宗派 臨済宗天龍寺派
本尊 聖観音
創建年 昭和18年(1943年
開山 関精拙
開基 山岡鉄舟
公式サイト 東京東中野の坐禅会「鉄舟会禅道場」―静かな都会の坐禅場
法人番号 9011205000247 ウィキデータを編集
高歩院の位置(東京都区部内)
高歩院
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高歩院(こうほいん)は、東京都中野区にある臨済宗妙心寺派寺院

歴史

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1943年昭和18年)、関精拙によって開山された。当地は元々山岡鉄舟の邸宅であり、後に東伏見宮家別邸となった。その後1941年(昭和16年)に民間に払い下げられた[1]

そして払い下げを受けた人物は、これらの由来を知り、土地の一部(庭園)を当時臨済宗管長だった関精拙に寄贈した[2]。なお精拙本人は生前、鉄舟の師・由理滴水を勧請開山とするつもりでいたが、精拙を開山とすることになった[2]

精拙は、ここに鉄舟を開基とする寺を創建することになった。鉄舟の念持仏だった聖観音本尊とし、鉄舟のだった「高歩(たかゆき)」に因み、名称を「高歩院」とした。しかし1945年昭和20年)の東京大空襲で、かつての庭園は跡形もなくなってしまった[1]。精拙も1945年(昭和20年)10月2日に寂した。戦後大森曹玄らにより再興された。

鉄舟会

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鉄舟会(てっしゅうかい)は、東京都中野区にある高歩院の坐禅会である。1947年(昭和22年)、高歩院2世住職となった大森曹玄によって開設された[3]

基本は坐禅会であるが、曹玄が書道剣道も嗜んでいたこともあり、坐禅会のみにとどまらない、様々な活動(書道、剣道、茶道)も展開している[3]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b 中野佛教連合会 編『中野区寺院案内』中野佛教連合会、1983年、15p
  2. ^ a b 高歩院縁起鉄舟会
  3. ^ a b 本会のあらまし鉄舟会

参考文献

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  • 中野佛教連合会 編『中野区寺院案内』中野佛教連合会、1983年

外部リンク

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