高瀬温泉
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荒川峡温泉郷 > 高瀬温泉
高瀬温泉 | |
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温泉情報 | |
所在地 | 新潟県岩船郡関川村 |
交通 | 鉄道 - JR東日本米坂線:越後下関駅 |
泉質 | ナトリウム-塩化物・硫酸塩泉(低張性 弱アルカリ性 高温泉)[1] |
泉温(摂氏) | 69°C[1] |
温泉施設数 | 旅館7軒[1] |
外部リンク | http://www.sekikawa-onsen.com/ |
高瀬温泉(たかせおんせん)は、新潟県岩船郡関川村、荒川沿いにある湯沢、雲母(きら)、鷹ノ巣、桂の関と併せてえちごせきかわ温泉郷を構成している[2]。
泉質
[編集]温泉地
[編集]荒川右岸の河畔に位置する(川を挟んで左岸側に雲母温泉がある)[3]。同温泉郷の中枢で、10数軒の温泉旅館、飲食店なども立地する最も規模の大きい温泉地であり、温泉郷の中心地となっている。
伝説
[編集]- 高瀬温泉には、鷹が温泉を導いたという伝説がある。
歴史
[編集]- ⼀本堂藥選(1738)[4]に雲母の湯が記載されており、越後名寄(1756) [5]にも「荒川ノ河原ニ在故洪水ノ時ニハ不能浴」と紹介されている。
- 天明八年(1788) [6]「久保多町吉祥院 明日雲母へ入湯仕候由」とあり、山伏者が湯治に行った。寛政九年(1797) [7]「年寄太兵衛雲母へ入湯にて留守」。文政二年(1817) [8]「一 妙法寺 雲母へ入湯之届書」。文政五年(1822) [8]「上町年寄嘉兵衛 雲母ニ湯治仕度 廿日許御暇願上ル」と湯治に20日行く願を出している。文政六年(1823) [8]「大年寄林善右衛門 雲母へ湯治仕度 御暇願差上ル」。このように村上藩では、武士や山伏が雲母の湯へ湯治に行っていた。
- 元来はここが雲母温泉であったが、1823-1902年の間に、鷹が温泉を導いたという伝説から、高瀬温泉と呼ばれるようになったという。
- 吉田[9]は湯澤の項目で、高瀬湯は温百五十度(65.6℃)と記録している。
アクセス
[編集]- JR米坂線・越後下関駅 下車。
- 高速バスZao号「下関」バス停(新潟交通観光バス下関営業所前。越後下関駅前交差点脇)下車。
- 駅および下関営業所からは以下の手段が利用可能。
- 日本海東北自動車道 荒川胎内ICから国道113号経由で約16 km、約20分
脚注
[編集]- ^ a b c “高瀬温泉”. えちごせきかわ温泉郷旅館組合. 2021年10月8日閲覧。
- ^ a b c d e “えちごせきかわ温泉郷あたたかいおもてなし”. 関川村. 2023年8月3日閲覧。
- ^ 加藤武雄、大宮由子、杉山智子「飯豊山地および周辺地域の温泉に関する二、三の地球科学的知見」 温泉科学35巻4号、2022年9月17日閲覧。
- ^ 香川修徳『⼀本堂藥選』〈続編〉1738年。
- ^ 丸山元純『越後名寄』巻第9、1756年。
- ^ 村上郷⼟研究グループ『村上町年行事所日記』村上古⽂書刊⾏会〈四〉、1992年、p448頁。
- ^ 村上郷⼟研究グループ『村上町年行事所日記』村上古⽂書刊⾏会〈六〉、1993年、p204頁。
- ^ a b c 村上郷⼟研究グループ『村上町年行事所日記』村上古⽂書刊⾏会〈七〉、1994年、p255, 323, 468頁。
- ^ 吉田東伍『大日本地名辞書』冨山房〈第三冊〉、1902年、p2108頁。
- ^ “朝日新聞フォトアーカイブ・水害特集:新潟・山形の治水変えた 昭和の大水害、写真で振り返る”. 朝日新聞社. 2022年1月23日閲覧。
- ^ “大雨被害の温泉旅館「先が見えない」 新潟関川村 インフラの復旧見通せず”. 新潟日報. (2022年8月6日). オリジナルの2022年8月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “JR越後下関駅近くの松田輪業さんで【湯~チャリ】の貸出し始めました!!”. えちごせきかわ温泉郷旅館組合. 2020年10月5日閲覧。
- ^ “湯~チャリ サイクリングおすすめマップ”. えちごせきかわ温泉郷旅館組合. 2020年10月5日閲覧。
参考文献
[編集]- 野口冬人著『全国温泉大事典』旅行読売出版社