高知海軍航空隊
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高知海軍航空隊(こうちかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。偵察専修搭乗員の教育を推進するため、偵察機に搭乗するまでの初歩練習を推進した。しかし決戦体制に移行した1945年(昭和20年)3月以降は、特攻実施部隊となって沖縄戦に参加した。
沿革
[編集]1944年(昭和19年)
[編集]- 3月15日 開隊、練習連合航空総隊第十三連合航空隊隷下。
- 4月1日 乙飛18期偵察専修生300名(三重海軍航空隊卒)入隊。
- 5月25日 甲飛13期偵察専修生450名(鹿児島海軍航空隊・松山海軍航空隊卒)入隊。
- 7月25日 甲飛13期偵察専修生350名(鹿児島空・松山海軍航空隊宇和島分遣隊卒)入隊。
- 8月1日 甲飛13期偵察専修生130名(鹿児島空卒)入隊。
- 9月1日 甲飛13期偵察専修生210名(松山空卒)入隊。
- 10月14日 飛行訓練中の白菊2機が接触墜落、
- 11月1日 甲飛13期偵察専修生450名(三重海軍航空隊奈良分遣隊卒)入隊。
1945年(昭和20年)
[編集]- 3月1日 作戦実施部隊に改編、第五航空艦隊指揮下に入る。飛行教育凍結。
- 4月1日 第三航空艦隊第十二航空戦隊に転籍。
- 5月5日 白菊全機を特攻機に指定、特攻訓練開始。
- 5月22日 特攻隊、鹿屋飛行場に進出。
- 5月24日 「菊水七号作戦」発動。徳島海軍航空隊と共同で白菊20機出撃。揚陸艦・輸送駆逐艦各1撃破、8機未帰還。
- 5月25日 「菊水七号作戦」続行。徳島空と共同で出撃したが、天候不良で断念。1機未帰還。
- 5月27日 「菊水八号作戦」発動。白菊20機出撃。駆逐艦「ドレクスラー」撃沈。11機未帰還。
- 6月21日 「菊水十号作戦」発動。白菊8機出撃。揚陸艦1隻撃沈。5機未帰還。
- 6月25日 徳島空の「神風特攻隊徳島第五白菊隊」に2機協力。戦果なし、2機とも未帰還。
- 6月26日 鹿屋飛行場白菊隊、全機出撃。戦果なし。高知空の白菊1機未帰還。
以後、高知空からの特攻隊派遣、出撃はなかった。菊水作戦終了後、高知空では約60機の白菊が残存していて、その半数を新設の窪川飛行場(高知第三基地とも。当時の幡多郡窪川町大字宮内)に派遣して、飛行訓練を行った。なお、飛行練習生たちは陣地構築や陸戦訓練を行った。
- 8月20日 解隊
連合軍の施設接収はサンフランシスコ講和条約まで続く。以後、高知空港として民間に開放されている。「高知龍馬空港」の愛称で親しまれている一方、高知空時代の掩体壕が7基現存していることでも知られている(前浜掩体群)。
主力機種
[編集]歴代司令
[編集]- 山本栄:1944年(昭和19年)3月15日-
- 加藤秀吉 大佐:1944年(昭和19年)7月10日-8月20日解隊
参考文献
[編集]- 『日本海軍編制事典』(芙蓉書房出版 2003年)
- 『航空隊戦史』(新人物往来社 2001年)
- 『日本海軍航空史2』(時事通信社 1969年)
- 『戦史叢書 海軍航空概史』(朝雲新聞社 1976年)
- 『連合艦隊海空戦戦闘詳報別巻1』(アテネ書房 1996年)