高紹徳
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高 紹徳(こう しょうとく、? - 562年)は、中国の北斉の皇族。太原王。文宣帝の次男。母は李祖娥。
経歴
[編集]天保年間、太原王に立てられた。文宣帝は太子高殷の漢人趣味を嫌い、高殷を廃位して紹徳を立てようと考えていたが、実現しなかった。天保8年(557年)、開府儀同三司の位を受けた。河清元年(562年)、武成帝は李祖娥が娘を殺したことに激怒して、「おまえがわが娘を殺すなら、わたしはおまえの子を殺してやる」と言った。武成帝は紹徳を召し出すと、「おまえの父が私を打ったとき、おまえは救けに来なかった」と罵った。武成帝は刀の柄で紹徳を突き殺し、みずから遊豫園に遺体を埋めた。
武平元年(570年)、すぐ下の異母弟・范陽王高紹義の子(紹徳から見れば甥)の高弁才が後を嗣ぎ、太原王となった。