高維嶽
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高維嶽 | |
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プロフィール | |
出生: | 1875年(清光緒元年) |
死去: |
1938年(民国27年) 中華民国北平特別市 |
出身地: | 清盛京将軍管轄区錦州府錦県 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 高維嶽 |
簡体字: | 高维岳 |
拼音: | Gāo Wéiyuè |
ラテン字: | Kao Wei-yüe |
和名表記: | こう いがく |
発音転記: | ガオ ウェイユエ |
高 維嶽(こう いがく)は、中華民国の軍人。北京政府、奉天派に属する。字は子欽。
事跡
[編集]東北講武堂を卒業後、奉天で軍務につく。1912年(民国元年)、第27師参謀長に就任した。その後、団長、旅長を歴任する。
1925年(民国14年)、東北陸軍第7師師長に昇進し、同年11月には第8軍副軍長となった。1926年(民国15年)、安国軍第3、4方面軍団第9軍軍長に昇進する。同年8月、署察哈爾都統となる。張作霖死後の1927年(民国16年)8月、正式に都統に就任した。この年には、奉天軍京綏前線副総指揮もつとめている。
張学良の易幟の後、高維嶽も国民政府に転じる。しかし、遼寧省政府委員、東北辺防長官公署軍事参議官、軍事参議院参議、同代理院長など、軍事指揮権を直接握る職にはついていない。日中戦争勃発後、北平に寓居した。親日政権への協力も要請されたが、これは拒絶している。
1938年(民国27年)、死去。享年64。
参考文献
[編集]- 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』南開大学出版社、2001年。ISBN 7-310-01517-7。
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(北京政府)
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