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高維嶽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高維嶽
プロフィール
出生: 1875年光緒元年)
死去: 1938年民国27年)
中華民国の旗 中華民国北平特別市
出身地: 清の旗 盛京将軍管轄区錦州府錦県
職業: 軍人
各種表記
繁体字 高維嶽
簡体字 高维岳
拼音 Gāo Wéiyuè
ラテン字 Kao Wei-yüe
和名表記: こう いがく
発音転記: ガオ ウェイユエ
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高 維嶽(こう いがく)は、中華民国の軍人。北京政府奉天派に属する。子欽

事跡

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東北講武堂を卒業後、奉天で軍務につく。1912年民国元年)、第27師参謀長に就任した。その後、団長、旅長を歴任する。

1925年(民国14年)、東北陸軍第7師師長に昇進し、同年11月には第8軍副軍長となった。1926年(民国15年)、安国軍第3、4方面軍団第9軍軍長に昇進する。同年8月、署察哈爾都統となる。張作霖死後の1927年(民国16年)8月、正式に都統に就任した。この年には、奉天軍京綏前線副総指揮もつとめている。

張学良易幟の後、高維嶽も国民政府に転じる。しかし、遼寧省政府委員、東北辺防長官公署軍事参議官、軍事参議院参議、同代理院長など、軍事指揮権を直接握る職にはついていない。日中戦争勃発後、北平に寓居した。親日政権への協力も要請されたが、これは拒絶している。

1938年(民国27年)、死去。享年64。

参考文献

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  • 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』南開大学出版社、2001年。ISBN 7-310-01517-7 
  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
 中華民国の旗 中華民国北京政府
先代
鹿鍾麟
察哈爾都統
1926年8月 - 1928年6月
1927年8月まで署理)
次代
趙戴文