高良武久
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(高良興生院から転送)
高良 武久(こうら たけひさ、1899年1月18日 - 1996年5月20日)は、日本の医学者、精神科医。専門は、性格学、森田療法。鹿児島県出身。
略歴
[編集]1899年、鹿児島県生まれ。旧制鹿児島県立川辺中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、1924年、九州帝国大学医学部卒業。同大学精神神経科講師を経て、1929年、東京慈恵会医科大学に転任する。同年より東京根岸病院に勤務し、森田正馬に師事して森田療法を継承する。1937年、森田の後を継いで東京慈恵会医科大学教授となる。1940年、入院森田療法の施設である高良興生院を設立し、森田療法による神経(質)症の治療を行う。1964年、東京慈恵会医科大学名誉教授。1996年、その死後高良興生院は閉鎖された。墓所は多磨霊園。
家族
[編集]- 父・高良善十郎(1867-1914) - 医師、鹿児島県川辺郡会議員。川辺村生まれ。鹿児島医学校で学んだのち開業、帝国大学医学大学で2年間学び再開業、1901年より郡会議員[1][2]
- 兄・高良淳(1883-1974) - 耐火物技術研究者、黒崎窯業創業者[1]
- 妻・高良とみ - 婦人運動家・参議院議員[1]
- 長女・高良眞木 - 画家[1]
- 二女・高良留美子 - 詩人[1]
- 三女・高良美世子 - 拒食症、不登校を経て18歳で服毒自殺[3]。死去60年後に姉留美子によって遺稿集が刊行された[4]
- 従弟・高良和武、高良道生(医師)[5]
著作
[編集]- 『性格学』(三省堂, 1931)
- 『神経質並に神経衰弱の性格治療』(三省堂, 1933)
- 『神経質と神経衰弱』(同文館, 1938)
- 『神経衰弱の本態と其治療』(実業之日本社, 1941)
- 『子供の精神衛生』(厚徳書院, 1942)
- 『人間の性格』(青山出版社, 1943)
- 『人の性格』(北光書房, 1948)
- 『神経質症の本態と治療~神経衰弱はこうすれば必ず治る~』(興生院出版部, 1950)
- 『人間の性格~その解剖と改善~』(協立書店, 1951)
- 『対人恐怖の直し方』(森田正馬共著, 白揚社, 1952)
- 『赤面恐怖の治し方』(森田正馬共著, 白揚社, 1953)
- 『神経質者の精神衛生~ノイローゼの本態と予防~』(実業之日本社, 1961)
- 『ノイローゼの徹底療法』(実業之日本社, 1964)
- 『森田療法のすすめ~ノイローゼ克服法~』(講談社, 1969)
- 『生きる知恵~神経質を活かす正しい生活道~』(白揚社, 1972)
- 『森田精神療法の実際~あるがままの人間学~』(白揚社, 1976)
- 『どう生きるか~神経質を活かす秘訣~』(白揚社, 1978)
- 『神経質症と心のからくり~どうすれば“とらわれ"から解放されるか~』(ナツメ社, 1978)
- 『精神医学者の随想』(ナツメ社, 1983)
- 『高良武久著作集 全6巻』(白揚社, 1988)
- 『高良武久詩集』(高良留美子編, 思潮社, 1999)
記念論集
[編集]- 高良武久名誉教授就任記念論文集 東京慈恵会医科大学精神神経科教室, 1964
伝記
[編集]- 『高良武久森田療法完成への道~不安な時代に生きる知恵~』(岸見勇美著,元就出版社,2013)
脚注
[編集]関連項目
[編集]- 長谷川和夫 - 慈恵医大精神科教室時代の教え子
外部リンク
[編集]- Web森田療法図書館 コラム 6.高良武久の業績について - ウェイバックマシン(2006年6月27日アーカイブ分)