高謐
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高 謐(こう ひつ、428年 - 472年)は、中国の北魏の学者・政治家。字は安平。鮮卑の出目。本貫は渤海郡蓨県。高歓の祖父にあたる。
経歴
[編集]高湖の三男として生まれた。文武に才能があった。太安年間、功臣の子として禁中に召し出され、中散の位を受け、宮中の書庫をつかさどった。まじめに勤務して文成帝に重用され、秘書郎に任じられた。高謐は朝廷の事業として古典の残欠を補うよう上奏し、広く群書をたずねて補正した。献文帝が寧光宮に行くたびに、高謐はつねに皇帝の侍読をつとめて、蘭台御史に任じられた。まもなく治書に転じ、権威をおそれず内官・外官の非法を糾弾したため賞賛を受けた。472年(延興2年)9月、死去した。享年は45。532年(太昌元年)、使持節・侍中・都督青徐斉済兗五州諸軍事・驃騎大将軍・太尉公・青州刺史の位を追贈された。諡は武貞公といった。
妻子
[編集]妻
[編集]- 叔孫氏(陳留郡君)