コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

高谷豊之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高谷 豊之助(たかや とよのすけ、1879年明治12年)1月14日[1] - 1943年昭和18年)7月13日[2])は、明治から昭和時代前期の政治家銀行家貴族院多額納税者議員

経歴

[編集]

高谷豊太郎の長男として青森県西津軽郡木造村(木造町を経て現つがる市)に生まれる[3]。1889年(明治22年)1月に家督を相続した[1]1892年(明治25年)資本金1万円で木造唯一の高谷銀行を創立し、頭取を務める[3]。翌年合資会社に変更し、1896年(明治29年)奥羽銀行同盟に加盟[3]。のちに第九十三銀行と取引した[3]1897年(明治30年)には資本金5万円の有力な地場銀行となり、1905年(明治38年)弘前に支店を開設[3]。資本金を30万円に増資した[3]

大坂金助の辞職に伴い[4]1920年(大正9年)青森県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年12月14日[5][6]から翌年の10月18日まで在任[2][7]1924年(大正13年)当時、県下で第4位の大地主だった[3]。のち放漫経営により、1927年(昭和2年)高谷銀行は破綻し、連鎖倒産も出るほどの騒ぎとなった[3]

親族

[編集]

⚫︎弟: 嘉繁 (妻は貴族院多額納税者議員加藤宇兵衛の娘ちよ)[8]

⚫︎長女:せつ(子爵野宮定茂弟進妻)[9]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『大正人名辞典 第3版』127頁。
  2. ^ a b 衆議院、参議院 編 1960, 201頁.
  3. ^ a b c d e f g h 東奥日報社 2002, 386頁.
  4. ^ 『青森県百科事典』東奥日報社、1981年、543頁。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、29頁。
  6. ^ 『官報』第2512号、大正9年12月15日。
  7. ^ 『官報』第2765号、大正10年10月19日。
  8. ^ 人事興信録第8版 タ156
  9. ^ 人事興信録第8版タ156

参考文献

[編集]
  • 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963 
  • 東奥日報社 編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。ISBN 4885610656