高道鯛釣
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高道 鯛釣(たかみち の たいつり、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。氏姓は玉作(無姓)のち高道連、高道宿禰。官位は正五位下・摂津守。
出自
[編集]玉作(玉造)氏は前漢の劉邦の子である劉肥の子孫を称する漢系渡来氏族[1]。玉作の呼称はかつて玉類の製造を職掌とした玉作部に由来する[2]。
経歴
[編集]嵯峨朝の弘仁2年(811年)玉作(無姓)から高道連に改姓し、弘仁6年(815年)鯛釣を含む一族5人が河内国から左京に移貫される。弘仁7年(816年)従七位下から八階昇進して外従五位下に昇叙され、弘仁10年(819年)には内位の従五位下に叙せられた。
淳和朝では昇進がなかったが、仁明朝に入ると天長10年(833年)従五位上に昇叙された。またこの間に連姓から宿禰姓に改姓している。承和6年(839年)正五位下・摂津守に叙任された。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:従八位上
- 弘仁2年(811年) 正月13日:玉作(無姓)から高道連に改姓
- 時期不詳:従七位下
- 弘仁6年(815年) 7月3日:河内国から左京に移貫
- 弘仁7年(816年) 正月7日:外従五位下
- 弘仁10年(819年) 正月7日:従五位下(内位)
- 時期不詳:連から宿禰に改姓
- 天長10年(833年) 11月18日:従五位上
- 承和6年(839年) 正月7日:正五位下。正月11日:摂津守