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高道鯛釣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高道 鯛釣(たかみち の たいつり、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族氏姓は玉作(無姓)のち高道連、高道宿禰。官位正五位下摂津守

出自

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玉作(玉造)氏は前漢劉邦の子である劉肥の子孫を称する渡来氏族[1]。玉作の呼称はかつて玉類の製造を職掌とした玉作部に由来する[2]

経歴

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嵯峨朝弘仁2年(811年)玉作(無姓)から高道連に改姓し、弘仁6年(815年)鯛釣を含む一族5人が河内国から左京移貫される。弘仁7年(816年従七位下から八階昇進して従五位下に昇叙され、弘仁10年(819年)には内位の従五位下に叙せられた。

淳和朝では昇進がなかったが、仁明朝に入ると天長10年(833年)従五位上に昇叙された。またこの間に連姓から宿禰姓に改姓している。承和6年(839年正五位下摂津守に叙任された。

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 『新撰姓氏録』河内国諸蕃
  2. ^ 佐伯[1994: 305]

参考文献

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