高階経敏
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高階 経敏(たかしな の つねとし、生没年不詳)は、平安時代後期の貴族。名は経俊とも記される。常陸介・高階経成の子。官位は正四位下・長門守。
経歴
[編集]白河上皇に近臣として仕える一方で、寛治4年(1090年)ごろ相模守を務め、任期後の嘉保3年(1096年)治国の労により従五位上に叙せられ、治部少輔も務めた。
その後、天永3年(1112年)武蔵守、元永2年(1119年)能登守、大治元年(1126年)長門守と受領を歴任し、この間の永久6年(1118年)に正五位下に叙せられている。のち、位階は正四位下に至った。
藤原実兼の次男である通憲(信西)を養子としたが、天養元年(1144年)に通憲は藤原姓へ復姓している。
官歴
[編集]- 時期不詳:従五位下[1]
- 寛治4年(1090年) 4月9日:見相模守[2]
- 嘉保3年(1096年) 正月5日:従五位上(治国)[2]
- 永長2年(1097年) 正月30日:見治部少輔[2]
- 天永3年(1112年) 正月27日:武蔵守[2]
- 永久6年(1118年) 2月10日:正五位下[2]
- 元永2年(1119年) 11月:能登守[3]
- 大治元年(1126年) 2月24日:長門守[4]
- 大治5年(1130年) 正月28日:去長門守[2]
- 時期不詳:正四位下[5]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 宮崎康充編『国司補任 第五』続群書類従完成会、1990年