高須司登
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高須 司登(たかす しとみ、1932年(昭和7年)4月25日 - 2019年(令和元年)8月1日[1][2])は、日本の実業家。位階は従三位。元中国電力代表取締役社長、元中国経済連合会会長。
人物
[編集]1956年(昭和31年)一橋大学法学部卒業、同年中国電力株式会社入社[3]。
1989年(平成元年)中国電力株式会社取締役総合企画室第一企画室長、1991年(平成3年)中国電力株式会社常務取締役、1993年(平成5年)中国電力株式会社取締役副社長、1995年(平成7年)中国電力株式会社代表取締役社長[3]、2001年(平成13年)中国電力株式会社取締役会長、同年中国経済連合会会長[4][5]、2005年(平成17年)株式会社もみじホールディングス監査役兼任。2006年(平成18年)中国電力株式会社会長を退任し、相談役に就任。
この他財団法人省エネルギーセンター中国支部長、財団法人中国技術振興センター理事長、社団法人日本大ダム会議理事等も歴任した。
2019年(令和元年)8月1日、死去。87歳没[1][2]。死没日をもって従三位叙位、旭日大綬章追贈[6]。
著作
[編集]- 「中国経済連合会会長(中国電力会長)高須司登氏に聞く 日本の景気回復は本物である」(日隈健壬と共著)ビジネス界. 24(7) (通号 251) [2004.7]
- 「特集 新春対談 未来へのチャレンジ--産学官連携を語る」(牟田泰三、田辺孝二と共著)METI Chugoku. (723) [2002.1]
- 「この人に聞く 真剣に議論すべきエネルギー政策における原子力の在り方--中国電力会長 高須司登氏」原子力eye. 47(11) (通号 560) [2001.11]
- 「インタビュー 中国地方は一つ、ポテンシャルのある五県の連帯は不可欠です--中国経済連合会会長 高須司登」広島ビジネス界. 21(9) (通号 218) [2001.9]
- 「トップ対談 中国電力は堅実に増配もし夢も売ります」(酒井節雄と共著)エネルギーフォーラム. 46 (通号 547) [2000.07]
- 「トップ対談 新時代に挑戦する基盤を確立--島根・上関両地点の推進に全力」(酒井節雄と共著)エネルギーフォーラム. 45 (通号 535) [1999.07]
- 「エネルギーインタビュー 効率化と安定供給をどう両立させるか--中国電力社長 高須司登氏」エネルギー. 31(7) [1998.07]
脚注
[編集]- ^ a b “高須司登氏が死去 元中国電力社長”. 日本経済新聞. (2019年8月9日) 2019年8月10日閲覧。
- ^ a b c “高須司登氏死去(元中国電力社長):時事ドットコム”. 時事通信. (2019年8月9日) 2019年8月10日閲覧。
- ^ a b “[おくやみ]中国電力元会長の高須司登氏が死去”. 電気新聞 (1面). (2019年8月13日) 2019年8月13日閲覧。
- ^ “元中国経済連合会会長 元中国電力社長の高須司登氏死去”. 神奈川新聞. 共同通信. (2019年8月9日)
- ^ “元中国電力社長の高須司登氏死去 元中国経済連合会会長”. 共同通信. (2019年8月9日) 2019年9月6日閲覧。
- ^ 『官報』第88号11頁 令和元年9月9日
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