髙嶋徹
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 栃木県宇都宮市 |
生年月日 | 1970年4月18日 |
没年月日 | 2021年9月28日(51歳没) |
身長 体重 |
171 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1988年 ドラフト外 |
初出場 | 1989年9月9日 |
最終出場 | 2000年5月23日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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髙嶋 徹(たかしま とおる、1970年4月18日 - 2021年9月28日)は、栃木県宇都宮市[1]出身のプロ野球選手(捕手)。1997年から1998年までの登録名は髙嶋 龍(たかしま りゅう)。 娘は元「東京パフォーマンスドール」リーダーで女優の高嶋菜七[2]。
来歴・人物
[編集]小学3年の時に野球を始める[1]。宇都宮市立雀宮中学校から宇都宮学園高に進学し、1988年の第60回選抜・第70回全国選手権に出場[1]。4番に座り、3番に座っていた真中満とともにチームを引っ張った。春は3勝し、ベスト4。夏は2勝し、3回戦敗退。強力打線の核として攻守に突出したファイターぶりを発揮し、甲子園でも人気者となった。
1988年オフ、ドラフト外でオリックス・ブレーブスに契約金3300万円、年俸400万円(金額は推定)で合意し、入団[3]。
1989年シーズンは、ルーキーながら一軍に出場。
1995年シーズンオフに久保充広と大島公一との2対2の交換トレードで堀江賢治とともに近鉄バファローズへ移籍[4]。
1997年、登録名を「髙嶋龍」に変更。しかし、近鉄移籍後の3年間は怪我で鳴かず飛ばずとなり、1998年シーズンオフに心機一転の意味を込め、登録名を「髙嶋徹」に戻した[5]。
1999年は、3年ぶりに一軍に復帰し、終盤に一軍で3年ぶりの本塁打を記録。しかし、翌年2000年のシーズンオフに戦力外通告を受け、現役を引退[1]。
引退後は文星芸術大学で事務を務める傍ら、宇都宮文星女子高校でソフトボールの指導者として活動[1]。
2003年に株式会社ラウンドワンに入社し、会社員として勤務していた[6]。
2021年9月28日、直腸がんのため大阪市内の病院で逝去[7][8]。51歳没。娘が所属していた東京パフォーマンスドールは2日前に活動休止前最後の公演を開催しており、娘によると高嶋はその公演の様子をインターネットの配信中継で見ていたという[2]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1989 | オリックス | 3 | 4 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .250 | .250 | .250 | .500 |
1992 | 2 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
1993 | 35 | 51 | 46 | 3 | 9 | 0 | 0 | 0 | 9 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 1 | 5 | 1 | .196 | .235 | .196 | .431 | |
1994 | 58 | 140 | 123 | 10 | 33 | 6 | 0 | 2 | 45 | 13 | 0 | 0 | 0 | 1 | 14 | 0 | 2 | 19 | 2 | .268 | .350 | .366 | .716 | |
1995 | 25 | 41 | 36 | 0 | 7 | 1 | 0 | 0 | 8 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 1 | 5 | 1 | .194 | .275 | .222 | .497 | |
1996 | 近鉄 | 11 | 13 | 11 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | .182 | .308 | .455 | .762 |
1999 | 18 | 30 | 28 | 2 | 6 | 0 | 1 | 1 | 11 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 2 | .214 | .233 | .393 | .626 | |
2000 | 9 | 12 | 12 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .167 | .167 | .167 | .333 | |
通算:8年 | 161 | 294 | 263 | 17 | 60 | 7 | 1 | 4 | 81 | 25 | 0 | 0 | 1 | 4 | 21 | 0 | 5 | 36 | 6 | .228 | .294 | .308 | .602 |
記録
[編集]- 初出場:1989年9月9日、対日本ハムファイターズ22回戦(東京ドーム)、4回裏に中嶋聡に代わり捕手として出場
- 初打席・初安打・初打点:同上、5回表に西崎幸広から
- 初先発出場:1993年8月8日、対千葉ロッテマリーンズ18回戦(千葉マリンスタジアム)、8番・捕手として先発出場
- 初本塁打:1994年5月8日、対日本ハムファイターズ6回戦(グリーンスタジアム神戸)、3回裏に関根裕之からソロ
背番号
[編集]- 29 (1989年 - 1994年)
- 19 (1995年)
- 55 (1996年 - 2000年)
登録名
[編集]- 高嶋 徹 (たかしま とおる、1989年 - 1995年)
- 髙嶋 徹 (たかしま とおる、1996年、1999年 - 2000年)
- 髙嶋 龍 (たかしま りゅう、1997年 - 1998年)
参考文献
[編集]- 『日本プロ野球記録大百科2004』(ベースボール・マガジン社) 958頁
脚注
[編集]- ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、315ページ
- ^ a b 高嶋菜七ツイート - Twitter 2021年10月1日
- ^ 朝日新聞、1988年12月3日付朝刊 (23面)
- ^ 「オリックスと近鉄で2対2のトレード」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1995年(平成7年)11月25日付朝刊、16面(スポーツ面)。
- ^ 日刊スポーツ発行99プロ野球選手写真名鑑
- ^ “en転職「株式会社ラウンドワン(東証一部上場)の店舗運営スタッフ(支配人候補)(85871)」”. 株式会社エンジャパン. 2021年9月29日閲覧。
- ^ 【オリックス】51歳直腸がん…OBの元捕手・高嶋徹さんが死去 263打数60安打、打率2割2分8厘 - 中日スポーツ 2021年9月29日
- ^ “朝日新聞スポーツ記者による2021年9月29日のツイート”. Twitter. 2021年9月29日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 髙嶋徹 - NPB.jp 日本野球機構