髙橋和廣
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個人情報 | |||||||||||||||
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フルネーム | 髙橋 和廣 | ||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||
生誕 | 1978年12月4日(45歳) 東京都西東京市(旧保谷市) | ||||||||||||||
スポーツ | |||||||||||||||
国 | 日本 | ||||||||||||||
競技 | パラアイスホッケー | ||||||||||||||
ポジション | フォワード | ||||||||||||||
種目 | 男子 | ||||||||||||||
チーム | 東京アイスバーンズ | ||||||||||||||
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髙橋 和廣(たかはし かずひろ、1978年12月4日[1] - )は、日本のパラアイスホッケー(アイススレッジホッケー)の選手。パラアイスホッケー日本代表としてパラリンピックの4大会に出場している。東京アイスバーンズ所属[2]。
来歴
[編集]東京都西東京市(旧保谷市)生まれ[3]。小学6年生からアイスホッケーのジュニアクラブ(西武ホワイトベアーズ)に所属[4]、盛岡中央高等学校在学時には3年連続でインターハイに出場した[3][4]。
大学進学後もアイスホッケーを続けていたが、21歳の時にスノーボードの転倒事故により脊髄を損傷。退院後のリハビリとしてアイススレッジホッケーに出会う[3][2]。当初はアイスホッケーとは勝手の違うアイススレッジホッケーに対応できず「面白くないスポーツだ」と感じていたが、徐々に競技にのめりこみ、1年後の2002年ソルトレークシティパラリンピックのアイススレッジホッケー日本代表に選出された[3][4]。
その後、2006年トリノパラリンピック・2010年バンクーバーパラリンピックと3大会連続でパラリンピックに出場[3][4]。2010年のバンクーバー大会では日本アイススレッジホッケー初の銀メダル獲得に貢献した[5]。
2014年ソチパラリンピックは日本チームが予選敗退したため出場を逃したが、2018年平昌パラリンピックでは副主将として出場。日本チームの戦績は8位ではあったが、チームが挙げた3得点はすべて髙橋によるものだった[6]。
脚注
[編集]- ^ “【パラアスリートの言魂】パラアイスホッケー高橋和廣”. ホウドウキョク (2018年3月7日). 2019年5月4日閲覧。
- ^ a b “西東京市職員の高橋和廣選手 平昌パラリンピック最終予選に出場”. ひばりタイムス (2017年1月15日). 2019年5月4日閲覧。
- ^ a b c d e “平昌でメダル奪回をめざす氷上の大ベテラン パラアイスホッケー・日本代表副主将高橋和廣さん” (PDF). 連合東京. p. 1 (2017年11月10日). 2019年5月4日閲覧。
- ^ a b c d “第2回 髙橋和廣「アイススレッジホッケー、馬鹿一代」”. Tokyo2020 NHK情報サイト. NHK (2017年4月14日). 2019年5月4日閲覧。
- ^ “「ストロングポイント」番組サイト|第50回 アイススレッジホッケー 高橋和廣”. BS日テレ (2017年1月28日). 2019年5月4日閲覧。
- ^ “8位入賞! 平昌冬季パラリンピックに高橋和廣選手が出場しました!(パラアイスホッケー)両庁舎に展示コーナーを設置しました”. 西東京市 (2018年4月2日). 2019年5月4日閲覧。
- ^ “高橋和廣さんが平昌パラリンピックのアイスホッケーに出場”. 千葉工業大学同窓会ホームページ (2018年4月2日). 2019年5月4日閲覧。
- ^ “パラアイスホッケー代表・髙橋和廣は「頼りになる」市役所職員 職場での姿を同僚に聞いた”. Tokyo2020 NHK情報サイト. NHK (2018年3月10日). 2019年5月4日閲覧。
外部リンク
[編集]- Kazuhiro Takahashi (@kazu55sled) - X(旧Twitter)
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