鬼の釜古墳 (池田町)
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鬼の釜古墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
別名 | 鬼ノ釜古墳 |
所在地 | 長野県北安曇郡池田町池田堀之内(字塚穴) |
位置 | 北緯36度26分8.75秒 東経137度53分2.05秒 / 北緯36.4357639度 東経137.8839028度座標: 北緯36度26分8.75秒 東経137度53分2.05秒 / 北緯36.4357639度 東経137.8839028度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径12m 高さ2.5m |
埋葬施設 | 無袖式横穴式石室 |
出土品 | 琴柱形滑石製品・鉄製品・須恵器・土師器 |
築造時期 | 6世紀末-7世紀初頭 |
史跡 | 池田町指定史跡「鬼の釜古墳」 |
地図 |
鬼の釜古墳(おにのかまこふん、鬼ノ釜古墳)は、長野県北安曇郡池田町池田にある古墳。形状は円墳。池田町指定史跡に指定されている。
概要
[編集]長野県北部、中山山地の西麓段丘上(標高682メートル)に築造された古墳である。1970年(昭和45年)に調査が実施されている。
墳形は円形で、東西12メートル・南北11.5メートル・高さ2.5メートルを測る[1]。墳丘外表では人頭大の石による葺石が認められるほか、墳丘周囲には外護列石が巡らされる[1][2]。墳丘周囲で周溝は認められていない[1]。埋葬施設は無袖式の横穴式石室で、南南東方向に開口する[1]。石室内は盗掘に遭っているが、調査では琴柱形滑石製品・鉄製品・須恵器片・土師器片が検出されている[1]。築造時期は古墳時代後期-終末期の6世紀末-7世紀初頭[2](または7世紀初頭-中葉[1])頃と推定される。
古墳域は1970年(昭和45年)に池田町指定史跡に指定されている。
遺跡歴
[編集]- 江戸時代初頭頃、石室が開口か[2]。
- 1878年(明治11年)時点ではすでに石室の開口[1]。
- 1970年(昭和45年)、清掃・調査(池田町教育委員会、1977年に報告書刊行)[2]。
- 1970年(昭和45年)4月1日、池田町指定史跡に指定。
- 1977年(昭和52年)、石室補修復元工事(池田町教育委員会)[1]。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては無袖式横穴式石室が構築されており、南南東方向に開口する。石室の規模は、長さ5.2メートル、奥壁幅1.8メートル、開口部幅1.8メートル、奥壁高さ2.05メートルを測る[1]。
玄室の奥壁は2段積みで、大型の石材の上に比較的小さい石を載せる。側壁は小ぶりの石を用いた7段の乱れ積みである。玄室の天井石は3枚。玄室と羨道の境には、立石を設ける[1]。
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石室内部(奥壁方向)
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石室内部(開口部方向)
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開口部
文化財
[編集]池田町指定文化財
[編集]- 史跡
- 鬼の釜古墳 - 1970年(昭和45年)4月1日指定。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(池田町教育委員会、1990年設置)
- 「堀之内村」『長野県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系20〉、1979年。ISBN 4582490204。
- 「鬼の釜古墳」『池田町誌』 歴史編I、池田町、1992年。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『鬼の釜古墳発掘調査報告書』池田町教育委員会、1977年。
外部リンク
[編集]- 鬼の釜古墳 - 公益財団法人八十二文化財団