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魏 刀児(ぎ とうじ、? - 618年)は、中国の隋末の民衆叛乱の指導者。河北の人。別名を魏刁児という。
大業11年(615年)、王須抜(中国語版)とともに十万人を率いて挙兵し、歴山飛と号した。
大業12年(616年)、部下の甄翟児(中国語版)を派遣して太原へ進攻し、隋の将軍の潘長文を殺害した。王須抜の死後、その部下はことごとく魏刀児の配下に加わった。深沢を根拠地として魏帝を称し、冀州・定州を転戦した。
大業14年(618年)、魏刀児は、竇建徳によって暗殺され、魏刀児の部下は竇建徳に吸収された。