魯鐸
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魯 鐸(ろ たく、1458年 - 1524年)は、明代の学者・官僚。字は振之。本貫は沔陽州景陵県。
生涯
[編集]1502年(弘治15年)、進士に及第し、会元となった。翰林院庶吉士に任じられた[1]。1504年(弘治17年)、翰林院編修に進んだ[2]。1505年(弘治18年)、ベトナムの黎朝に対する使節をつとめた。
1507年(正徳2年)、国子司業に転じた。1515年(正徳10年)、南京国子祭酒に抜擢された[3]。1516年(正徳11年)、国子祭酒となった[4]。1517年(正徳12年)、病を理由に帰郷した。
1522年(嘉靖元年)、刑部尚書林俊の推薦により、南京国子祭酒に起用された。1523年(嘉靖2年)、致仕を請願した。1524年(嘉靖3年)、死去した[5]。享年は67。諡は文恪といった。著書に『魯文恪公集』10巻・『已有園稿』2巻・『已有園続稿』1巻[6]があった。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『明史』巻163 列伝第51