鳥居忠挙
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時代 | 江戸時代後期 - 末期(幕末) |
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生誕 | 文化12年2月14日(1815年3月24日) |
死没 | 安政4年8月10日(1857年9月27日) |
改名 | 於喜松。国之助(幼名)→忠挙 |
戒名 |
誠徳院殿従五位下前丹州刺吏慈運雄光大居士 誠心院殿 |
墓所 | 東京都文京区本駒込の江岸寺 |
官位 | 従五位下、丹波守 |
幕府 | 江戸幕府奏者番・若年寄 |
主君 | 徳川家斉→家慶→家定 |
藩 | 下野壬生藩主 |
氏族 | 鳥居氏 |
父母 | 父:鳥居忠燾、養父:鳥居忠威 |
兄弟 | 忠威、忠挙 |
妻 | 正室:聡子(松平康任の三女) |
子 | 忠粛、忠宝、忠文、娘(岡部長発正室) |
鳥居 忠挙(とりい ただひろ)は、江戸時代後期から末期の大名。下野壬生藩の第6代藩主。壬生藩鳥居家10代。
生涯
[編集]文化12年(1815年)2月14日(異説として8月2日)、第4代藩主・鳥居忠燾の四男として江戸番町で生まれる。文政9年(1826年)12月27日、第5代藩主で兄の忠威が早世した際、その末期養子として跡を継いた。文政10年1月28日、将軍徳川家斉に拝謁する。文政12年(1829年)12月16日に叙任する。天保8年(1837年)8月15日に奏者番となり、嘉永4年(1851年)7月25日に若年寄となるが、安政4年(1857年)7月25日に病に倒れ、8月10日に世を去った。享年43。
家督は三男の忠宝が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 聡子 ー 松平康任の三女
子女