鳴潮茂生
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鳴潮 茂生(なるしお しげお、1908年9月8日[1] - 没年不明)は、三重県三重郡朝日町出身[1]で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は太田 茂生[1]。最高位は十両6枚目(ただし、後述のように十両力士として土俵に上がらなかった)[1]。
経歴
[編集]高砂部屋に入門し、1925年1月、初土俵を踏む[2]。1932年1月、十両に昇進したが[2]、番付発表直後に起きた春秋園事件により、朝潮(後の男女ノ川)、鏡岩らとともに脱退し、革新力士団に加わった。その後、相撲協会に復帰することはなかった。
改名
[編集]桑錦→鳴潮[2]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
- 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年