鵜殿長持
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 永正10年(1513年)[要出典] |
死没 | 弘治3年9月11日(1557年10月13日)[注 1][1] |
別名 | 藤太郎[2]、三郎[3] |
戒名 | 日来[3] |
官位 | 長門守 |
主君 | 今川義元、氏真[3] |
氏族 | 鵜殿氏 |
父母 | 父:鵜殿長将[2] |
兄弟 | 長持、長成、長祐[2] |
妻 | 今川義元の妹?[注 2] |
子 | 長照、藤九郎、長忠、松平伊忠室[2][5] |
略歴
[編集]三河国宝飯郡上ノ郷城(現在の愛知県蒲郡市神ノ郷町、西郡城とも)の城主。16世紀前半の鵜殿氏は一族が分立し、現在の蒲郡市域の大半を統治していたらしい[2]。また駿河の戦国大名・今川氏に従属し、数字は正確ではなかろうが「三州西郡一万石」を領したとされる大身分だった。また今川義元の妹を室に迎えたという[6][注 2]。連歌師の宗長・宗牧とも親交があった[7]。弘治3年(1557年)自城にて没[注 1][1][5]。
鵜殿氏は東海地域の法華宗の後援者であり、15世紀から16世紀にかけて多数の法華宗寺院の建立を支援したが、天文21年(1552年)には隣国遠江の本興寺の仏殿修復の際には多額の寄進を行っており、棟札には長持の名が筆頭に挙げられている[注 3][6][8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 蒲郡市誌編纂委員会; 蒲郡市教育委員会 編『蒲郡市誌 本編』蒲郡市、1974年。
- 蒲郡市誌編纂委員会; 蒲郡市教育委員会 編『蒲郡市誌 資料編』蒲郡市、1976年。
- 石川松衛 編『蒲郡町誌』名著出版、1973年。
- 「静岡県の地名」編集委員会 編『静岡県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系〉、2000年。ISBN 9784582490220。
- 黒田基樹『北条氏康の妻 瑞渓院』平凡社〈中世から近世へ〉、2017年。ISBN 9784582477368。
- 『寛政重修諸家譜』 18巻、続群書類従完成会、1965年。ISBN 9784797102222。