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鵜飼勉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鵜飼 勉
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県
生年月日 (1923-01-15) 1923年1月15日
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手
プロ入り 1943年
初出場 1943年5月15日[1]
最終出場 1943年11月7日[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

鵜飼 勉(うかい つとむ、1923年1月15日 - 没年不明)は、愛知県出身の元プロ野球選手(二塁手)。

来歴・人物

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中京商業(現・中京大学附属中京高等学校)在学中は、1940年春の甲子園に出場(初戦で京都商業〈現・京都学園高等学校〉に1-6で敗戦)。中京商時代の同級生・チームメイトに杉江文二(のち大和中日。杉江とは同じ生年月日でもある)がいる。

1943年西鉄軍に入団。5月15日南海戦(西宮球場)で初出場[1]。その後、二塁手のレギュラーとして定着した。打撃はやや非力だったが、選球眼は良く、四球三振を上回っている。IsoD(出塁率-打率)は.161とハイアベレージであった。しかし、同年シーズン終了後に西鉄軍を退団。戦後もプロ野球に復帰しなかった。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1943 西鉄軍 60 216 169 15 27 3 1 0 32 13 5 3 7 -- 39 -- 1 27 -- .160 .321 .189 .510
通算:1年 60 216 169 15 27 3 1 0 32 13 5 3 7 -- 39 -- 1 27 -- .160 .321 .189 .510

背番号

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  • 12 (1943年)

脚注

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外部リンク

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関連項目

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