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鶴山八幡宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鶴山八幡宮

社殿
所在地 岡山県津山市山北159
位置 北緯35度4分9.2秒 東経133度59分54.6秒 / 北緯35.069222度 東経133.998500度 / 35.069222; 133.998500 (鶴山八幡宮)座標: 北緯35度4分9.2秒 東経133度59分54.6秒 / 北緯35.069222度 東経133.998500度 / 35.069222; 133.998500 (鶴山八幡宮)
主祭神 譽田別尊、神功皇后、玉依姫
社格 郷社
創建 慶長13年(1608年
本殿の様式 中山造
別名 八子の八幡さま
例祭 夏季大祭:7月15日
秋季大祭:10月15日
地図
鶴山八幡宮の位置(岡山県内)
鶴山八幡宮
鶴山八幡宮
鶴山八幡宮 (岡山県)
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鶴山八幡宮(つるやまはちまんぐう)は、岡山県津山市にある神社。祭神は譽田別尊神功皇后玉依姫旧社格は郷社。「八子(やご)の八幡さま」とも呼ばれる。

概要

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本来は現在、津山城が築かれている鶴山山上にあった。しかし、江戸時代初期の慶長8年(1603年森忠政津山藩主として入府し、鶴山を城地として定めたため遷座することとなった。慶長10年(1605年)に吉井川の南岸、津山城から見て(南東)の津山市八出の覗山に一時遷座した。慶長13年(1608年)には、家運永久子孫繁昌を願って津山城の(戌亥・北西)の天門の鎮めとして改めて現在の地に再遷座した。

移転後、社殿が改めて造営された。寛永12年(1635年)および寛文9年(1669年)に2代藩主森長継が社殿の改築を行った。現在の本殿は寛文の改修の際に造営されたもので、現在、国の重要文化財に指定されている。森氏改易後入府した松平氏の歴代藩主により社領50石が寄進され崇敬を受けた。

日光東照宮をまねて建立されたと言われる。[1] 現在は津山市北部の大産土神となっている。

文化財

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重要文化財(国指定)

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  • 鶴山八幡宮本殿(附宮殿 1基・棟札5枚)[2]
    • 江戸時代前期の寛文9年(1669年)に建造された。津山地方独特の中山造の本殿である。随所に彫刻が施されている。建造当時は極彩色に着色されていた。昭和55年(1980年)5月31日指定。

岡山県指定重要文化財

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  • 鶴山八幡宮拝殿、釣殿及び神供所並びに末社薬祖神社社殿
    • 拝殿と本殿に繋がる釣殿・神供所は本殿と同じ寛文9年(1669年)の建造である。拝殿は桁行5間・梁間3間の桟瓦葺入母屋造で、檜皮葺唐破風向拝1間が付いている。釣殿は桁行1間・梁間6間の桟瓦葺両下造に銅板葺の背面唐破風が付いている。薬祖神社社殿は桁行5尺2寸・梁間1間2尺の栩葺流造で、鶴山の社地から移転したと伝えられており、当神社で最も古い建造物である。昭和31年(1956年)4月1日指定。

画像集

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脚注

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  1. ^ 津山市観光協会『津山市観光協会創立50周年記念』発効日 平成19年2月 35p
  2. ^ 「岡山県の歴史散歩」岡山県の歴史散歩編集委員会編 2009年 252p

参考文献

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  • 岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会/編『新版 岡山県の歴史散歩』山川出版社、1991年、196ページ
  • 現地説明板

外部リンク

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