鶴峯戊申

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鶴峯 戊申
人物情報
別名 :海西、皐舎、中橋
:季尼、世霊
通称:左京、和左治、彦一郎
生誕 天明8年7月22日 (1788-08-23) 1788年8月23日
日本の旗 日本豊後国臼杵(現・大分県臼杵市
死没 安政6年8月24日 (1859-09-20) 1859年9月20日(71歳没))
日本の旗 日本江戸
国籍 日本の旗 日本
両親 父:鶴峯宜綱
学問
時代 江戸時代後期
研究分野 国学
主要な作品 『語学新書』
テンプレートを表示

鶴峯 戊申(つるみね しげのぶ、天明8年7月22日1788年8月23日) - 安政6年8月24日1859年9月20日)は、江戸時代後期の国学者である。

名前[編集]

明治21年(1888年)11月5日発行の『襲国偽僣考』の奥付によれば、海西鶴峯戊申季尼(かいせい つるみねしげのぶ きじ)で、海西が、季尼がである。通称は左京、和左治、彦一郎。別の字に世霊、別の号に皐舎、中橋がある。

生涯[編集]

天明8年(1788年)、豊後国臼杵(現・大分県臼杵市)に八坂神社神主・鶴峯宜綱の子として生まれる。安政6年(1859年)に江戸で死去。享年72。

著作は多く、『襲国偽僣考』、『木文字考』、『嘉永刪定神代文字考』、『天御柱考証』、『古義神代考』、『本教異聞』、『語学新書』、『臼杵小鑑』、『海防秘策乾巻』、『中将棊絹篩』などがある。とりわけ『語学新書』は、オランダ語文法書に倣って編纂したもので、近代的国語文法書の嚆矢とされる。

著作[編集]

  • 『襲国偽僣考』
  • 木文字考』
  • 『嘉永刪定神代文字考』
  • 『天御柱考証』
  • 『古義神代考』
  • 『本教異聞』
  • 『語学新書』
  • 『臼杵小鑑』
  • 『海防秘策乾巻』
  • 『中将棊絹篩』

襲国偽僣考[編集]

人の邪馬台国などの倭国は記紀の熊襲であり、卑弥呼はその国の女酋(女首長)であるという。また熊襲の国を襲国といい、その元号の痕跡が『麗気記私抄』、『海東諸国記』、『如是院年代記』などにあるとして、九州年号としてまとめた。しかし、これらが金石文として出土した例はなく、一般には後世の偽作と考えられる。

開始年
ユリウス暦
元号名 如是院 干支 和暦 襲国年
522 善記 善記 壬寅 継体16年 襲国元年
526 正和 正和 丙午 継体20年
531 殷到 教到 辛亥 継体25年
536 僧聴 僧聴 丙辰 宣化 1年 襲国15年
541 明要 明要 辛酉 欽明 2年 襲国20年
552 貴楽 貴楽 壬申 欽明13年
554 法清 法清 甲戌 欽明15年
558 兄弟 兄弟 戊寅 欽明19年
559 蔵和 蔵和 己卯 欽明20年
564 師安 師安 甲申 欽明25年
565 知僧 知僧 乙酉 欽明26年
570 金光 金光 庚寅 欽明31年
576 賢棲 賢称 丙申 敏達 5年 襲国50年
581 鏡常 鏡常 辛丑 敏達10年
585 勝照 勝照 乙巳 敏達14年
589 端政 端改 己酉 崇峻 2年 襲国68年
594 吉貴 吉貴 甲寅 推古 2年 襲国73年
601 願転 願転 辛酉 推古 9年
605 光元 光充 乙丑 推古13年
611 定居 定居 辛未 推古19年
618 倭京 和景縄 戊寅 推古26年
623 仁王 (なし) 癸未 推古31年
629 聖聴 聖徳 己丑 舒明 1年 襲国108年
635 僧要 僧要 乙未 舒明 7年
640 命長 命長 庚子 舒明12年
652 常色 常色 丁未 孝徳 3年 襲国132年
655 白雉 白雉 壬子 孝徳 8年
673 朱雀 朱雀 甲申 天武12年 襲国152年
695 大和 (なし) 乙未 持統 9年 襲国174年
698 大長 大長 戊戌 文武 2年 襲国177年
  • 『如是院年代記』では斉明7年(661年)が白鳳元年