鶴峯戊申
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人物情報 | |
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別名 |
号:海西、皐舎、中橋 字:季尼、世霊 通称:左京、和左治、彦一郎 |
生誕 |
天明8年7月22日(1788年8月23日) 日本・豊後国臼杵(現・大分県臼杵市) |
死没 |
安政6年8月24日(1859年9月20日(71歳没)) 日本・江戸 |
国籍 | 日本 |
両親 | 父:鶴峯宜綱 |
学問 | |
時代 | 江戸時代後期 |
研究分野 | 国学 |
主要な作品 | 『語学新書』 |
鶴峯 戊申(つるみね しげのぶ、天明8年7月22日(1788年8月23日) - 安政6年8月24日(1859年9月20日)は、江戸時代後期の国学者である。
名前
[編集]明治21年(1888年)11月5日発行の『襲国偽僣考』の奥付によれば、海西鶴峯戊申季尼(かいせい つるみねしげのぶ きじ)で、海西が号、季尼が字である。通称は左京、和左治、彦一郎。別の字に世霊、別の号に皐舎、中橋がある。
生涯
[編集]天明8年(1788年)、豊後国臼杵(現・大分県臼杵市)に八坂神社神主・鶴峯宜綱の子として生まれる。安政6年(1859年)に江戸で死去。享年72。
著作は多く、『襲国偽僣考』、『鍥木文字考』、『嘉永刪定神代文字考』、『天御柱考証』、『古義神代考』、『本教異聞』、『語学新書』、『臼杵小鑑』、『海防秘策乾巻』、『中将棊絹篩』などがある。とりわけ『語学新書』は、オランダ語文法書に倣って編纂したもので、近代的国語文法書の嚆矢とされる。
著作
[編集]- 『襲国偽僣考』
- 『鍥木文字考』
- 『嘉永刪定神代文字考』
- 『天御柱考証』
- 『古義神代考』
- 『本教異聞』
- 『語学新書』
- 『臼杵小鑑』
- 『海防秘策乾巻』
- 『中将棊絹篩』
襲国偽僣考
[編集]倭人の邪馬台国などの倭国は記紀の熊襲であり、卑弥呼はその国の女酋(女首長)であるという。また熊襲の国を襲国といい、その元号の痕跡が『麗気記私抄』、『海東諸国記』、『如是院年代記』などにあるとして、九州年号としてまとめた。しかし、これらが金石文として出土した例はなく、一般には後世の偽作と考えられる。
開始年 ユリウス暦 |
元号名 | 如是院 | 干支 | 和暦 | 襲国年 |
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522 | 善記 | 善記 | 壬寅 | 継体16年 | 襲国元年 |
526 | 正和 | 正和 | 丙午 | 継体20年 | |
531 | 殷到 | 教到 | 辛亥 | 継体25年 | |
536 | 僧聴 | 僧聴 | 丙辰 | 宣化 1年 | 襲国15年 |
541 | 明要 | 明要 | 辛酉 | 欽明 2年 | 襲国20年 |
552 | 貴楽 | 貴楽 | 壬申 | 欽明13年 | |
554 | 法清 | 法清 | 甲戌 | 欽明15年 | |
558 | 兄弟 | 兄弟 | 戊寅 | 欽明19年 | |
559 | 蔵和 | 蔵和 | 己卯 | 欽明20年 | |
564 | 師安 | 師安 | 甲申 | 欽明25年 | |
565 | 知僧 | 知僧 | 乙酉 | 欽明26年 | |
570 | 金光 | 金光 | 庚寅 | 欽明31年 | |
576 | 賢棲 | 賢称 | 丙申 | 敏達 5年 | 襲国50年 |
581 | 鏡常 | 鏡常 | 辛丑 | 敏達10年 | |
585 | 勝照 | 勝照 | 乙巳 | 敏達14年 | |
589 | 端政 | 端改 | 己酉 | 崇峻 2年 | 襲国68年 |
594 | 吉貴 | 吉貴 | 甲寅 | 推古 2年 | 襲国73年 |
601 | 願転 | 願転 | 辛酉 | 推古 9年 | |
605 | 光元 | 光充 | 乙丑 | 推古13年 | |
611 | 定居 | 定居 | 辛未 | 推古19年 | |
618 | 倭京 | 和景縄 | 戊寅 | 推古26年 | |
623 | 仁王 | (なし) | 癸未 | 推古31年 | |
629 | 聖聴 | 聖徳 | 己丑 | 舒明 1年 | 襲国108年 |
635 | 僧要 | 僧要 | 乙未 | 舒明 7年 | |
640 | 命長 | 命長 | 庚子 | 舒明12年 | |
652 | 常色 | 常色 | 丁未 | 孝徳 3年 | 襲国132年 |
655 | 白雉 | 白雉 | 壬子 | 孝徳 8年 | |
673 | 朱雀 | 朱雀 | 甲申 | 天武12年 | 襲国152年 |
695 | 大和 | (なし) | 乙未 | 持統 9年 | 襲国174年 |
698 | 大長 | 大長 | 戊戌 | 文武 2年 | 襲国177年 |
- 『如是院年代記』では斉明7年(661年)が白鳳元年