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鶴崎 俊篤(つるさき としあつ、1912年 - 1944年7月26日)は、日本の元アマチュア野球選手。佐賀県出身。
佐賀中学(現・佐賀県立佐賀西高等学校)在学中は、甲子園に2回(夏2回〈1928年、1929年〉)出場した。
1932年早稲田大学に入学、東京六大学リーグ戦でも外野手として出場した。しかし早大卒業後応召され、1944年7月26日、朝鮮・釜山の傷痍軍人療養所て戦病死した。享年32。
東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、同郷で、高校・大学の後輩である酒井治彦と共に、彼の名前が刻まれている[1]。