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鶴渡清治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鶴渡 清治郎(つるわたり せいじろう、1886年6月7日 - 1936年11月1日)は、東京府東京市深川区(現在の東京都江東区)で中立部屋に所属した力士。本名は田口 清治郎。6代中立、8代荒磯。田口吉五郎の子として生まれる。現役時は身長176cm、体重113kg。最高位は東前頭筆頭。

経歴

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1901年5月新序1906年十両昇進。1907年5月入幕した。三役級の地力があると評されながら、勝負に無頓着で稽古嫌いで名高かった。22場所幕内を務め、筆頭まで進んだ。1910年5月大関西ノ海1916年1月新鋭の栃木山、1916年5月大関大錦を破っている。現役中に二枚鑑札となっていたが、1919年1月に引退後は荒磯を襲名した。昭和11年11月1日没。墓所は江東区深川玄信寺で、墓碑は二回忌である1938年11月に建てられた。

成績

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  • 幕内22場所 73勝113敗18休11分5預

改名

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改名歴なし [1] [2]

年寄

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  • 荒磯 晴晤 1919年1月 - 1936年11月

出典

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  1. ^ http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3586&l=j
  2. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709