鶴田卓池
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鶴田 卓池(つるだ たくち、明和5年(1768年)8月15日 - 弘化3年8月11日(1846年))[1]は、三河国額田郡岡崎菅生村(現・愛知県岡崎市菅生町)出身の俳人。号は青々処(せいせいしょ)、藍叟(らんそう)など。桜井梅室、成田蒼虬、田川鳳朗とともに「天保の四老人」のひとりとされている。三河地方の俳壇の中心的存在だった。
経歴
[編集]明和5年(1768年)8月15日、三河国額田郡岡崎菅生村(現・愛知県岡崎市菅生町)の紺屋の家に生まれる。17歳だった天明4年(1784年)に尾張藩の加藤暁台の門に入り、また井上士朗にも師事した。卓池は温厚な性格であったが、酒豪かつ女好きという側面もあり、世話をする女中は秘部(女陰)が乾く暇もなかったという[要出典]。弘化3年(1846年)8月11日に死去。享年76。墓所は岡崎市菅生町の満性寺。満性寺には卓池の句碑も建っている。卓池の句碑は岡崎市稲熊町の法専寺、知立市八橋町の無量寿寺などにもある。
1987年(昭和62年)には卓池ゆかりの方々から卓池に関連する資料が岡崎市に寄贈ないし寄託され、岡崎市は岡崎市立図書館に鶴田卓池文庫を設置している。鶴田卓池文庫は書籍、短冊、軸物、粉物、屏風などからなり、『紙本着色鶴田卓池自画像一幅』、『奥羽記(紀)行』、『旅中日記』、『西遊日記』などは岡崎市指定有形文化財となっている。一部の原本は2008年(平成20年)の岡崎市立中央図書館開館とともにデジタル化されている。
注釈
[編集]- ^ “鶴田卓池(つるだ たくち)とは”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンク. 2018年11月13日閲覧。
参考文献
[編集]- 大磯義雄『俳人鶴田卓池』本阿弥書店、1986年 NCID BA55854971
- 大磯義雄『青々卓池と三河俳壇』名著出版、1989年 ISBN 4626013392
- 鈴木煙浪『卓池雑考』三河発行所、1976年 全国書誌番号:75022568、NCID BN06406229。
- 「ウチのお宝紹介! 岡崎市立中央図書館 郷土の俳人鶴田卓池」『図書館雑誌』2007年11月号 ISSN 0385-4000