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鷹島町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鷹島村から転送)
たかしまちょう
鷹島町
鷹島モンゴル村のゲル
鷹島町章 鷹島町章
鷹島町旗 鷹島町章
廃止日 2006年1月1日
廃止理由 新設合併
鷹島町、松浦市、福島町松浦市
現在の自治体 松浦市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
北松浦郡
市町村コード 42387-4
面積 17.12 km2
総人口 2,868
(2000年)
隣接自治体 なし(航路により松浦市佐賀県唐津市
町の木 マテバシイ
町の花 スイセン
鷹島町役場
所在地 859-4305
長崎県北松浦郡鷹島町中通免1718-2
松浦市鷹島支所
外部リンク 鷹島町(アーカイブ版)
座標 北緯33度26分03秒 東経129度45分21秒 / 北緯33.43406度 東経129.75589度 / 33.43406; 129.75589座標: 北緯33度26分03秒 東経129度45分21秒 / 北緯33.43406度 東経129.75589度 / 33.43406; 129.75589
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鷹島町(たかしまちょう)は、長崎県鷹島黒島を行政区域としていた

2006年1月1日、松浦市・北松浦郡福島町と合併(新設合併)し、新たに松浦市となった。

末期には、離島に多く見られる過疎化が酷く進んでいた。

地理

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歴史

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中世
  • 1281年 - 弘安の役で鷹島に軍が上陸、戦場となる。
    • 朝鮮半島から出航した 元軍(東路軍)と大陸の江南地方から出航した元軍(江南軍)が平戸島で合流すると、この軍勢は太宰府目指して進撃し、鷹島沖まで進出した。これに対して、集結した日本軍は元軍艦船群に攻撃を仕掛けて海戦となり( 鷹島沖海戦)、元軍は鷹島で進撃を停止した。『元史』相威伝によれば、元軍は太宰府目指して進撃するのを躊躇し、軍を発することが出来なかったという。その後、元軍は猛烈な 台風を受け、多くの軍船が沈没し大損害を出した。鷹島に取り残された元軍は、日本軍の総攻撃を受け壊滅した (鷹島掃蕩戦)。鷹島沖では元軍の沈没船が発見されており、軍船の大きさは25〜27メートルほどと推定されている。また島にも鷹島掃蕩戦の戦跡が残っている。
近世
近現代
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、北松浦郡鷹島村が単独村制にて発足。
  • 1943年(昭和18年)4月9日 - 鷹島沖合で連絡船「殿浦丸」の機関室から浸水して沈没。乗客ら104人が死亡[1]
  • 1975年(昭和50年)1月1日 - 町制施行により鷹島町となる。
  • 2006年1月1日 - 松浦市・北松浦郡福島町との合併(新設合併)により改めて松浦市が発足し、自治体としての鷹島町も廃止となった。

地域

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地名

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を行政区域とする。大字は設置していない。松浦市合併後は免の名称に「鷹島町」を冠し「鷹島町○○免」と表記している。

  • 阿翁免(あおうめん)
  • 阿翁浦免(あおううらめん)
  • 黒島免(くろしまめん)
  • 神﨑免(こうざきめん)
  • 里免(さとめん)
  • 三里免(さんりめん)
  • 中通免(なかどおりめん)
  • 原免(はるめん)
  • 船唐津免(ふなとうづめん)

交通

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航空・鉄道

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空港・鉄道路線なし。

道路

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一般県道

バス路線

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  • 昭和自動車
    • 鷹島肥前大橋の開通により、合併後の2009年4月20日から唐津市肥前町と鷹島を結ぶ路線の運行を開始。
  • 鷹島バス
    • 鷹島町営バス(鷹島バス)は、松浦市営バスとなり鷹島島内の路線を運行していた(現在一部区間は昭和自動車に、それ以外は廃止により設立した鷹島タクシーに移管)。

航路

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かつては星賀(唐津市肥前町)と日比(鷹島町)を結ぶ航路もあったが、鷹島肥前大橋に近かったため、橋の開通にともない航路は廃止された。

名所・旧跡・観光スポット

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  • 鷹島モンゴル村(休業中) - 元寇に由来して草原の上にモンゴルから輸入したゲルがあり、宿泊することができる。夕焼けスポットでもあり、鷹島町特産の阿翁石で作られた「交流のシンボル塔」がある[2]
  • 松浦市立鷹島歴史民俗資料館 - 海底調査で出てきた元軍の遺物(「てつはう」と呼ばれる爆弾、元の公用語であるパスパ文字で刻まれた元軍の司令官のはんこなど)を展示。
  • 元寇記念碑 - 島の一番高いところの元寇古戦場に立つ碑。
  • 元軍の如来像 - 元軍(実質は高麗人)が祭祀していた高麗式の銅製如来像で、のち引き上げられ盗難に遭うも現在は市杵島神社境内の小さな堂に祀られている。

参考文献

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脚注

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  1. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、62頁。ISBN 9784816922749 
  2. ^ 森力松. “鷹島の伝統として続く石工業“阿翁石(あおういし)””. 旅する長崎学. 長崎県文化振興課. 2021年5月6日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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