黄貴妃
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貴妃黄氏(きひ こうし、? - 紹熙2年11月26日(1191年12月14日))は、南宋の光宗の寵妃。
生涯
[編集]初め徳寿宮[1]に入り、淳熙6年(1179年)10月、和義郡夫人(身分の低い妃嬪)に封ぜられた。淳熙末年、皇太子の趙惇(後の光宗)の側室が少なかったため、高宗は黄氏を養孫の趙惇に与えた。黄氏は寵愛を受け、光宗が即位すると貴妃に封ぜられた。
紹熙2年11月26日(1191年12月14日)、光宗が官員たちと宮外の祭壇で祭祀を執り行っていた時、皇后李氏は黄貴妃を殺害し、「急死」と報告された。光宗はショックのあまり大声で泣き叫び続け、儀式が出来なくなった。夜間まで祭祀は続いたが、突然の激しい雷雨に灯火がことごとく吹き消され、祭壇の者たちは騒ぎ立った。光宗はその後、ショックで数日間意識不明になった。太上皇の孝宗は激怒して皇后をとがめ、「皇帝が崩御したらお前の一族も処刑だ」といった。また、宰相らにもこれを言い聞かせた。皇后は恨みを抱き、蘇生した光宗に「あなたはご自分の過飲から病になられましたが、太上皇は私を一族とともに処刑なさろうとされました。極めて不公正な冤罪です。今も、太上皇は宰相たちと結託しようとしています」と讒言した。光宗は皇后の言に惑わされ、父子の間はさらに険悪になった。
脚注
[編集]伝記資料
[編集]- 『宋史』
- 『宋会要輯稿』
- 『建炎以来朝野雑記』